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(回答先: 広田弘毅とその戦争責任(天木直人のブログ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 8 月 25 日 23:16:28)
http://www.amakiblog.com/archives/2008/08/26/#001102
2008年08月26日
再び問う。戦争責任者たちが公正、公平に追及されたのかと。
昨日のブログで私は広田弘毅の東京裁判における死刑判決について書いた。
その時私は、どのような戦争であれ、その戦争を防ぎきれなかった指導者はすべて等しく重い責任がある。戦争とはそれほど極悪な人間の仕業である、と書いた。
偶然にも26日の毎日新聞「発信箱」に、同じような意見を述べた記事を見つけた。
玉木研二論説委員は、最近公表された東条英機の手記に言及して次のように書いている。
・・・(敗戦間際でもなお継戦を唱え、降伏を主張する指導者や国民を腰抜け呼ばわりしてなじる東条の姿を浮き彫りにした手記について)
東条の狭量を裏付ける資料というのが大方の見方のようだ。
では、どうしてこの程度の人物が開戦直前から2年9ヶ月も首相を務め得たか。その硬直した無責任政治システムの狭量も当然批判・解明されなければならない。だが、それはなおざりにされてきた・・・
敗戦前後には、後難を恐れ人が(東条に)近寄らなくなった。そして政府・軍部が懸念したのは東条の自決である。裁判で責任を負ってもらわねば累が他におよぶ・・・占領軍上陸直前の45年8月27日、陸軍省高級副官が(東条を)訪ね、様子を探った・・・自決の意思は固いとみた副官からの報告で、大臣が説得に乗り出したという・・・
歴史に「もし」は禁句だ。しかし、東条の姿が東京裁判の被告席になかったら、責任追及はどのような展開になっていたか。
東条の自決が未遂に終わり、裁判になったことに副官は「日本のためであった」と記している・・・
この玉木研二氏の指摘こそ今日の日本の指導者に引き継がれてきた無責任体制の象徴ではないか。
戦争責任で罰せられる者があまりにも少なかったのではないか。責任を取るべき人物たちが戦後手のひらを返したようにその責任を封印して特権人生を送って来たのではなかったか。
その体質は今日に見事に生き続けている。
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