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(回答先: 江戸時代の労働に関する各種サイト(何かの刷り込みで、江戸時代を悪く捕らえていませんか) 投稿者 ブッダの弟子 日時 2008 年 8 月 19 日 22:59:22)
江戸散歩
http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-31.html
大工や左官、鳶といった職人たちは、夏の間なら午前7時には現場へ行き、午後5時には引き揚げた。
その間には、昼休みに加えて午前10時と午後3時の休みもあったので、実質的な労働時間は8時間ぐらい。昼の短い冬になると、実労働時間は5空時間程度のものだったという。
しかも、当時は、ほとんどの場合が職住接近。通勤時間はほとんどかからなかった。さらに、天気が悪ければ、仕事は休みとなった 。今のサラリーマンよりも、ずっと急がず焦らず、のんびりと働いていたのである。
もっとも、いつものんびり働いていたわけではない。急ぎの場合は、労働時間が10時間以上ということもあった。そんなときは、手間賃が増額になったり、今でいう残業手当がついた。サービス残業は、当時の職人さんたちには考えられないことだった。
ただし、商家に住み込んでいる番頭や手代たちは、今でいえば”サラリーマン”にあたるだけに、職人ほどのんびりとはしていられなかった。朝7時から午後7時までの12時間労働が当たり前で、丁稚の間は暗いうちから起きて雑用をこなし、深夜まで後片付けや雑用をさせられた。一日に14から6時間も働かされるケースもあった。
一方、同じ商売人でも、天秤棒を担いで食品や日用品を売り歩く業者は、朝は早くても、売れ行きがよければ早仕舞いも可能だった。扱う商品にもよるが、昼過ぎには帰り支度をする業者がけっこう目立ったという。
江戸生活史
http://myumyueno.blog68.fc2.com/blog-entry-29.html
江戸時代は、今と違って通勤時間に往復1時間も2時間もかかることはありません。
職と住が近接していたから、時間的なロスもありません。
心身の疲れもその分少なく、のんびり働いていただろうと想像できます。
<大工や左官屋の職人>
朝六つ半(午前7時)〜夕方七つ半(午後5時)まで。でも、昼四つ(午前10時)の小休み・中食(昼食)・昼八つ(午後2時)の休みが・・。
実質的にゆーと8時間くらいになります。
*昼が短い冬季には、労働時間も短くなり1日4時間程しか働いてなかったよう)
急ぎ仕事の時には、早朝・夜も働くこともあったのは今と同じ。
この場合、残業手当として半日分余計にもらえたそう。
<商家の番頭や手代>
朝五つ(午前8時)〜暮六つ半(午後7時)まで。
11時間労働です。 この場合も休みはあったでしょう。
但し、丁稚(年季奉公の年少者)は、雑用を片付けるため1時間ほど長く働いていました。
<棒手振(ぼてふり)>
朝六つ半(午前7時)〜売れ行き次第。
商品や天候季節にもよりますが、蜆(しじみ)売りの場合、4〜5時間だったとあります。
<饅頭(まんじゅう)屋>
暁七つ(午前4時)〜夜の四つ(午後10時)まで。。
18時間も店を開けていたことに。寝ていたのでしょうか?
季節のよって、働かない時期があるのが江戸時代の特徴です。
その時期は、現在の半分、1/3の労働時間になります。
それ以外は、現在と変わらない労働時間のように思えました。
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