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(回答先: 【動画】昔の方が働く時間が少なく幸せであったであろうというのは推察でき、今の労働環境が馬鹿馬鹿しい 投稿者 ブッダの弟子 日時 2008 年 8 月 19 日 03:46:28)
お江戸でござる おもしろ講座
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/981203.html
大工は八時間の労働時間のうち、午前(十時くらい)、昼時、午後(三時くらい)に休みがあるので、実労働時間は五時間くらい。
稲垣法律事務所
http://www.inagakilaw.com/asof/html/10x06/100306_3.html
熊本細川家では、囚人を収容する小屋を建て、そろいの紺染めの衣服を着せ、1日あたり2人扶持(米1升)を支給し、辰の刻(午前8時)から、未の刻(午後3時)までを労働時間としていました。
現在の自発的労働者よりも、労働時間が短くてかなり楽ですね。
犯罪者の服役の方が、自由人の仕事よりも楽な訳がないのですから、私が、江戸時代の農民は、しょっちゅう祭りだ、法事だ何だかだといっては、お休みが多かったと書いて来ましたが、当時の百姓など自由人は、これ以下の労働時間だったことが、この服役ルールからも推測できます。
江戸の一頁
http://e-kankyo.jfast.net/edo/seikatsu/1day.htm
例えば、江戸時代といえば武家社会で斬り捨て御免の時代であると思いがちですが、実際には武士といえども理由も無く庶民を斬れば罰せられるのは当然で、徳川幕府は農民を勝手に斬ったりしてはいけないという事を明確に触れだしています。
実際、余程の事情がない限り『切捨て御免』なんてありえませんでした。 但し斬られても当然といわれる例としては参勤交代の大名行列を横切ったりした場合があり、この際には斬られても文句は言えないそうです。
しかしこの大名行列の際しても道端で土下座をして見送る必要は無く、庶民はそれを見学するのを楽しみにしていたとも伝えられており、随分とイメージとは違います。
労働時間は余り長くありません。
仕事によってはその日の天候によって「晴耕雨読」の場合もありましたし、灯りは火しかないので第一次、第二次の産業では必然的に日が暮れてしまえばそこで仕事を終えてしまわなければなりませんでした。
夜は灯り代が勿体無いのでさっさと眠ってまた新しい一日を迎えます。
加藤哲郎のネチズン・カレッジ
http://homepage3.nifty.com/katote/Karoshi-J.html
過労死とサービス残業の政治経済学
江戸時代の農民は「百姓と胡麻はしぼりとるだけしぼれ」と強搾取におかれたようにイメージされるが、また実際にも当時の社会階層のなかで身分的に搾取されていたが、それでも農業生産力の拡大に伴い、休日を多くとるようになった。「村の遊び日」といわれる祭りや休養のための休日が、幕末には年40日ほど、多い所では80日もあった。江戸や大阪の町人・職人は、「一六(いちろく)」といって、月に1と6のつく日に休む習慣があり、明治維新直後の政府の暦にも、それはとりいれられた。明治の官吏や商家の記録でも休みが多く、勤勉とはいえない。明治初期に来日した西欧人の観察では、日本人を勤勉どころか「怠けもの」と見る記録が圧倒的である。
稲沢市教職員労働組合
http://www2f.biglobe.ne.jp/~Nakasima/
血の通った人間らしい労働とは何かを問う
江戸時代の日本の町人の世界では4日働いて1日休む四勤一休,16世紀のヨーロッパでは日曜日と月曜日は休む五勤二休(週休2日)が一般でした。日本の農村にも村の掟に「遊び日」という習慣がありました。武士の「労働時間」も一日6時間程度でした。
コメント
幕府が行き詰った、とどこかで自分も刷り込まれていましたが、そうではなく明らかに欧米が貿易しろ、貿易しろと介入し、相手国の産業を潰し輸入状態にさせ、不均衡貿易などで富が流出し、物価が上がったのがきっかけなわけで、そういう貿易による弊害は今も昔も、そしてインドなどの共通点です。
書籍『黒字亡国 対米黒字が日本経済を殺す』 三國陽夫 【朝日新聞 06年】
http://www.asyura2.com/08/hasan56/msg/756.html
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