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バラック・オバマ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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投稿者 新世紀人 日時 2008 年 7 月 22 日 17:29:11: uj2zhYZWUUp16
 

(回答先: 何をしでかすか判らない正体不明の「リスク・マン」が「オバマ」その人なのだ。格付けできません。 投稿者 新世紀人 日時 2008 年 7 月 22 日 17:17:04)

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バラック・オバマ
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アメリカ合衆国の政治家
バラック・オバマ
Barack Hussein Obama, Jr.

生年月日 1961年8月4日(46歳)
出生地 ハワイ州ホノルル
出身校 ハーバード大学
所属政党 民主党
アメリカ合衆国上院議員
選挙区 イリノイ州選挙区
当選回数 1回
就任日 2004年1月3日
イリノイ州上院議員
当選回数 2回
就任日 1997年1月3日
退任日 2004年1月3日
退任理由 連邦上院選挙出馬のため

バラック・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr.[1], 1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国の政治家。現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員である。ただし母親は白人であるため、混血とも分類される[2]。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 生い立ち
1.2 政界に
1.2.1 イリノイ州議会議員
1.2.2 合衆国上院議員
1.3 大統領候補
1.3.1 大統領予備選
1.3.2 知名度
1.3.3 懸念材料
2 名前
3 家族
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク


経歴

生い立ち
ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身のスウェーデン(白人)系労働者一家の生まれである。したがって、いわゆる「奴隷の子孫」としてのアフリカ系アメリカ人のルーツは持っていない。

イスラム教の戒律では(少なくとも建前の上では)ムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。これについてオバマは自伝で「父はムスリム(イスラム教徒)だったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。実際には、ハワイにおいて白人である母親と母親の両親によって育てられたという出自である[3]。6歳から10歳まで、母親と、再婚相手のインドネシア人の義父とともに、インドネシアに在住していた経験もある。

コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系(混血とも分類される)として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。


政界に

イリノイ州議会議員
卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師(lecturer)として合衆国憲法を講じていた。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた。


合衆国上院議員

2006年連邦支出金透明化法案提出者として(左から2番目)2004年には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選した。2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。


大統領候補

スプリングフィールドで立候補宣言を行うオバマ
ニューハンプシャーで遊説を行うオバマ2004年以降、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の候補として推す声が地元の上院議員や新聞などを中心に高まっていった。本人は当初出馬を否定していたが、2006年10月、NBCテレビのインタビューに出馬を検討すると発言。翌2007年1月、大統領選出馬へ向けた準備委員会設立届を連邦選挙委員会に提出、事実上の出馬表明となった。そして2007年2月、イリノイ州スプリングフィールドにて正式な立候補宣言を行った。有権者に対し、建国当初のフロンティア精神へ回帰することを呼びかけ支持を集めている。

出馬の演説で彼は「ここ6年間の政府決定や放置されてきた諸問題は、われわれの国を不安定な状態にしている」と述べ、医療保険制度や年金制度、大学授業料、石油への依存度を、取り組みが必要な問題として挙げた。グローバル資本主義に懐疑的であり、大量の失業者を生んだ新自由主義経済政策のNAFTAに反対し国内労働者の保護を訴えるなど、ヒラリー・クリントンよりもリベラルな政治姿勢で知られている。

外交政策に関しては一貫してイラク戦争に反対しているが、一方で治安が悪化しているアフガニスタンやパキスタンなどにアメリカ軍の派遣を「増派すべき」と最近になって主張し始め、左派だけ無く保守派への浸透も図っている。また、「私が大統領に選出されれば国際的な核兵器禁止を目指す」とも発言しており、「ロシアと協力し、双方の弾道ミサイルを一触即発の状況から取り去る方針だ。まずは、兵器製造に転用可能な核分裂性物質の生産を世界的に禁止することから始める。そして、米ロ間の中距離ミサイル禁止を国際的に拡大することを目指す」と具体的な内容にも言及している。

オバマが大統領に就任すると、建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領となる。2008年11月の大統領選では、共和党のジョン・マケイン上院議員と対決する。


大統領予備選
大統領予備選の第1弾が行われるアイオワ州の地元紙(電子版)により、予備選直前の2007年12月に行われた世論調査では、支持率がクリントンを下してトップであった。その後の2008年1月3日に行われた大統領予備選のアイオワ州党員集会では、保守傾向にある下位候補の支持者や20代の若者などの幅広い層からの支持を集めて、ジョン・エドワーズやクリントンら他の候補者を10ポイント近い大差で破りオバマが勝利した。また、2008年1月8日に行われたニューハンプシャー州党員集会ではヒラリー・クリントン候補に僅差で敗北。しかし本人は「私はまだまだやりますよ」と今後の選挙戦勝利に意欲をのぞかせている。2008年1月26日行われたサウスカロライナ州予備選ではアフリカ系層や若い白人層などから圧倒的な支持を受けてヒラリー・クリントン候補に圧勝。CNNでは投票締め切りと同時にオバマ勝利と報じるほど他候補を圧倒した。また、ジョン・F・ケネディの娘カロライン・ケネディがニューヨーク・タイムズ紙で支持を表明したが、スーパー・チューズデーではヒラリーとの決定的差はなかった。また、2006年に次いでグラミー賞朗読部門賞を受賞している。 スーパー・チューズデー後は予備選で9連勝し、一気に指名争いをリードした。その後も優位が揺るぐことはなく、5月には特別代議員数でもヒラリーを逆転し、指名を確実にした。2008年6月3日、全予備選が終了し、全代議員数の過半数を集めたオバマはクリントンを下し、候補者指名を確定させた。


知名度
かつては知名度の差でクリントン候補に差をつけられていたが、人を挽きつけるカリスマ的魅力があり、遊説を続けるごとに支持者を獲得している。政策は具体性に欠け抽象的・理念的な話が多いという評価がある一方、演説の説得力はJFKの再来とも形容される。演説の巧みさには定評があり、「We」、「You」を多用した短いフレーズを重ねていく手法を採用している。

また、大統領選挙期間中の資金集めも企業や団体系の献金組織「政治行動委員会」(PAC)から受け取らず、インターネットを通じた個人献金を重視。200ドル以下の小口献金が全体の45%を占め、企業団体献金などを重視したクリントン候補を後半戦で引き離した。


懸念材料
彼が当選すれば、アメリカ史上初の黒人大統領となる。人種差別の影を引きずる米国にとって、黒人大統領の誕生が与えるイメージ変化は計り知れず、そうした面から当選を願う声も多い。しかし、黒人嫌いの過激派(KKKなど)が暗殺を企てるのではないかという指摘が再三にわたってなされており、選挙戦序盤から厳重な警護がなされている。また予備選においては意識的に自らの人種を強調しない戦略をとったにもかかわらず、オバマ一家と関係の深いジェレミア・ライト牧師が白人を敵視するかのような発言を繰り返すなど、選挙戦でも人種問題と無関係ではいられない状況にある。

なお、20世紀の大統領の多くが知事か副大統領としての行政経験を持ち、若さを売りにしたケネディでさえも、上下院あわせて10年以上の連邦議員経験がある。州議会議員の他は上院議員1期のみというオバマの政治経歴は例外的に短い。このことは既成の体制から自由であるという清新なイメージを与える点で大きな強みとなる一方、大統領として国家を運営していけるかという根強い懸念を生んでおり、対抗馬による攻撃対象の一つとなっている。


名前
名前を「オサマ」と呼び間違えられることがよくある。過去にCNNやテッド・ケネディ上院議員、2007年10月にはミット・ロムニー前マサチューセッツ知事がアメリカ同時多発テロの首謀者のオサマ・ビンラディンを説明中にうっかり言いまちがえている[4]。 主に共和党などの政敵から[要出典]は、ミドルネームのフセインとサダム・フセインをかけて「フセイン氏」の蔑称で呼ばれている。

福井県小浜市では市名にちなみ、観光協会のメンバーを中心として「オバマ氏を勝手に応援する会」を発足させ、親書と市名産の「めおと箸」を送るなどしている。[5][6]。 また、長崎県雲仙市小浜町の小浜温泉でも同様に勝手連が発足し、応援活動を行っている。[7][8]


家族
シカゴ生まれのミシェルと結婚しており、2人の娘を持つ。ディック・チェイニーとは8親等にあたる縁戚である事が夫人のリン・チェイニーから明かされた。[9]


脚注
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^ World Biography: Barack Hussein Obama, Jr.
^ 現在北米のアフリカ系アメリカ人で純粋に混血でない(白人の血を受けてない)人々は極少数と考えられる。
^ 保守系フォックス・テレビがイスラム神学校で教育を受けたと報じたが、後にCNNの現地取材によってこれは否定された(新潮社 Foresight 3月号)。
^ ロムニー候補、「オバマ」を「オサマ」と間違える (CNN日本語サイト、記事は削除により閲覧不可)
^ 「福井県小浜市で突如「オバマフィーバー」 「勝手に応援する会」も誕生」J-CAST、2008年2月6日
^ 福井・小浜市へオバマ氏手紙 市民歓喜「思い通じた」 asahi.com 2008年3月4日
^ 「小浜温泉あげてオバマ候補応援! 観光協会に必勝だるま」長崎新聞、2008年2月13日
^ 「オバマ上院議員を応援、長崎・小浜温泉住民が勝手連」読売新聞、2008年4月24日
^ オバマ米上院議員、チェイニー副大統領の親せきと判明 (ロイター日本語サイト 2007年10月17日付)

関連項目
アフリカ系アメリカ人
ミックス
ハーフ
2008年アメリカ合衆国大統領選挙

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、バラック・オバマに関連するカテゴリとマルチメディアがあります。公式
民主党 - バラック・オバマ
上院 - バラック・オバマ
議会 - バラック・オバマ
Obama '08 - 大統領選挙専用サイト
その他
バラック・オバマ応援ポータルサイト - オバマに関するニュース記事、ブログを紹介

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E" より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員 | アフリカ系アメリカ人の人物 | アメリカ合衆国の弁護士 | ハワイ州の人物 | 1961年生 | グラミー賞受賞者

最終更新 2008年7月20日 (日) 19:37。

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