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ローカルデフレスパイラルの提唱(チラシの裏にでも書いとけ)
http://www.asyura2.com/08/senkyo51/msg/785.html
投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 7 月 12 日 01:04:24: sypgvaaYz82Hc
 

(回答先: 「生かさず殺さず」 -25th April 2006- (国民よ目を覚ませ) 投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 7 月 12 日 00:24:17)

ローカルデフレスパイラルの提唱(チラシの裏にでも書いとけ)

2008年01月08日
ローカルデフレスパイラルの提唱

デフレスパイラルとは、物価の下落と賃金の下落が相互に連動して起こり、経済規模が限りなく縮小していくこと。あたかも浴槽の水を抜くときに発生する渦(スパイラル)のごとく、景気が急速に失速していく状況である。ここでは、擬デフレスパイラル的な現象として、以下のシークエンスを提唱する。


@低賃金雇用によって人件費を抑制し、
低価格路線での生き残りを図る企業が登場する。

A景気が悪くて雇用不足の場合には低賃金でも働きたい人はいるので、
人件費抑制による低価格路線は実現できる。

B低賃金で雇われた労働者は低価格の商品しか購入の選択肢がないため、
結果として低価格商品は売れて、低価格路線企業は規模を拡大できる。

C低賃金雇用がますます増え、
低賃金労働者の数=低価格商品しか買えない層が増加する。

D低価格路線企業は規模をさらに拡大し、低賃金雇用がさらに増加する。

E結果として、低賃金労働者が急速に増加し、
さらに低価格路線企業が膨大な利益を産むようになる。


具体的には、衣食住といった生活に密着している低価格路線企業を想定している。ポイントは、経済全体がデフレに陥るわけではないということと、そして働く労働者は不景気なのにもかかわらず、企業全体としては好景気であるということの2点。特に後者により、国という単位での経済を検証したときに、あたかも好景気と判断されかねない状況が形成されうることを特徴としておく。

これをひとまず「ローカルデフレスパイラル」と呼ぶことにする。ローカルとは局所的という意味で、上記に挙げた特徴の一つである「経済全体がデフレに陥るわけではない」ことを捉えた形容詞として選択した。

http://writeinthebackofads.seesaa.net/article/77228787.html


2008年01月16日
ローカルデフレスパイラルと格差社会

先日提唱したローカルデフレスパイラル仮説と格差社会との関係を考えてみる。ローカルデフレスパイラルで最も重要なのは、人件費を抑えることで製品の売価を下げつつ、同時に労働者の生活レベルを制限して否応無しに低価格の製品しか選択できないように仕向けることである。

 では、人件費を抑えるとはどういうことか。一般に正社員の給与水準を下げるのは難しい。労働組合などがあれば尚更だ。最も単純なのは、正社員を非正社員に入れ替えることである。この効果は見た目以上に大きい。月々の給与は少なく、賞与もなく、最近では法改正の動きがあるものの、昇給もほとんどなく、さらに福利厚生関係の支出も軽減されて企業の負担は格段に減少する。結果として、ローカルデフレスパイラルでは、パート・アルバイト、そして派遣社員が増加する。1999年と2004年に労働者派遣法が改正されて派遣業種の幅が広がったことで、最近では特に派遣社員の増加が当然の帰結として予想される。

余談であるが、以前は「フリーター」という言葉がメディアに登場し、「自由な働き方」という言葉が前面に押し出されてあたかも正社員よりもアルバイトのほうが幸せであるかのようなイメージが盛んに宣伝された。しかし、私に言わせればフリーターほど不自由で不安定な職業は無い。

 都合が良いのはむしろ雇用する側である。フリーター礼賛は明らかに雇用側のイメージ戦略であったと思う。そしてこれと同じ流れで、少し前までは「派遣社員」が「自由な働き方」の代名詞としてフリーターから地位を受け継いでいた。フリーターからの流れで言えば、これも派遣企業と受け入れ企業が手を携えて行なったイメージ戦略であったはずだ。「ハケンの品格」というドラマが一時話題になったが、これもその一環であったと思う。

ところで、以前書いたとおり、ローカルデフレスパイラル仮説では企業が発展すればするほど低賃金労働者は増加する。これを上記に当てはめると、一旦ローカルデフレスパイラルのシークエンスが回りだすと、パート・アルバイト・派遣といった非正規雇用者が増加するという帰結に至る。つまり、ローカルデフレスパイラルを突き詰めると、究極的には正社員が消えてなくなり、ごく少数の経営陣と大量の非正規社員で構成される企業が出来上がるのだ。

 正社員を「中流」と称し、「一億総中流」という思想が過去の日本には存在した。この思想に従えば、この組織構成は「中流」がぽっかり抜け落ちた形で表現されることになる。ごく少数の「上流」と大量の「下流」。ローカルデフレスパイラルの究極的形態は、格差社会の完全な縮図である。

 この帰結を逆に捉えて、ローカルデフレスパイラルが社会に蔓延する(ローカルデフレスパイラルがグローバル化する)場合のことを考えると、そこに形成される社会は格差社会でしかありえないということも言えるであろう。仮説の定義でも書いたとおり、ローカルデフレスパイラルによって企業はひたすら規模を拡大することができるので、格差社会的企業構造は、実際に局所的な状態から社会の無視できない割合を占める状態まで拡大されうる。つまり、ローカルデフレスパイラルが格差社会の現出に寄与している可能性は、決して否定できない。

しかし、ローカルデフレスパイラルがグローバル化しても、場合によってはデフレスパイラルとは似ても似つかぬ社会になる可能性があることには注意しておくべきであろう。たとえローカルがローカルでなくなったとしても、不景気の煽りを被るのは(規模としては大多数であるが、社会のパーツとしては一部でしかない)「下流」層であり、「上流」と「下流」のある種の「平均操作」によって社会全体は好景気と判断される可能性すらあるということだ。景気との関係については、項を改めて述べる。

http://writeinthebackofads.seesaa.net/article/78900387.html


2008年01月25日
低所得者層の老後と社会の右傾化


以前の記事で、ローカルデフレスパイラルでは、究極的には大量の非正社員(パート・アルバイト・派遣)と少数の経営陣から成る組織が形成されると述べた。非正社員は、正社員に比べて圧倒的に待遇が悪い。目に見える形では給料、目に見えない部分では福利厚生関係の待遇が劣っている。後者のうち、厚生年金の問題は深刻である。もし非正社員が非正社員のまま年老いていくとすると、彼らはパートの一部を除けば一生厚生年金に加入できない(社会保険事務局資料を参照のこと)ため、基本的には国民年金を支払うことになる。

 しかし、低賃金が影響して国民年金を支払う余裕すらなくなるケースが大いに考えられる(むしろ、フリーターで真面目に国民年金を支払っている人がどれだけいるだろうか?)。こういった人々は、収入ゼロ高齢者の予備軍である。彼らは老後どうやって生きてゆけば良いのだろうか。彼らが子供をもうけることは考えにくいので、子や孫の収入はもとよりあてにできない。そうすると、生活保護を受けるか、ホームレス化するか、もしくは死ぬしかない。企業が拡大し、国が景気回復を喧伝する裏側で、暗い未来を背負った若い世代が増加するのがローカルデフレスパイラルである(格差社会と言っても良い)。

 彼らは国の福祉(年金制度)には何ら貢献しない一方で、将来確実に社会問題化して福祉関係予算を圧迫する。いわば社会の「お荷物」である。しかし、仮に彼らが年老いて生活保護を求めたときに、これを「自己責任」と突っぱねることが正しいことだろうか?彼らは、自ら選択してお荷物化するのではない。ローカルデフレスパイラルが、あるいは格差社会が生み出すのである。しかし、このケースを「自己責任」と突っぱねることが許容されるような社会が形成される可能性が存在する。その鍵となるのが「社会の右傾化」である。

「景気が悪いと社会が右傾化する」といわれることがある。これにはいくつかの原因があると思うが、ひとつ考えられるのは、不景気によって引き起こされる政府への不満を逸らせるための、政府の戦略としての「社会の右傾化」である。日本であれば小泉政権がそうだったであろうし、お隣の韓国や中国がやっている反日政策はこれにあたる(余談だが、小泉時代の東アジアの緊張は、日中韓の暗黙の了解の下に高められたと推測している)。

 もうひとつ考えられるのは、政府に誘導されるまでもなく社会が積極的に不景気感を保守的思想に転換してしまい、そこに政府がつけ込む「社会の右傾化」である。フランス国内の移民に対する反感はこれであろう。いずれにせよ、「景気が悪いと社会が右傾化する」という説はあながち間違いではないと信じる。さて、では「社会の右傾化」とはどういうことか。これは保守的な政策が支持されることであろう。保守的な政策とは、政治的には愛国主義的な政策である。そして経済面では、アメリカに代表される新自由主義経済、いわゆる「小さな政府」の推進である。そしてこの小さな政府の特徴は「自己責任」である。この保守政策は、日本では小泉−安倍と引き継がれてきたものである。

ローカルデフレスパイラルは格差社会を助長し、大多数の下層に「景気の悪化」をもたらす。これを「社会の右傾化」と組み合わせて考えてみよう。ローカルデフレスパイラルによって誕生した下層で景気の悪化が蔓延すると、それを契機として下層社会は右傾化する。すると政府の政策は保守的なものが支持されるようになる。下層は数が多いので、選挙があればむしろ右傾化の流れが加速することは重要である(これは現在の衆議院の圧倒的な与党の議席数に反映されている)。

 経済に関して言えば、社会の右傾化は小さな政府の推進を意味する。小さな政府では、「民間でできることは民間に」という合言葉の下に全てが民営化(=自己責任化)される。そしてこれを支持する層は、「自己責任」を合言葉にこれらの政策を許容するのだ。結果として、保守政策の支持層(=下層)は自らの自己責任を助長することになり、福祉などの重要な政策に対する政府の無責任を許容することになる。

 たとえば、これは収入ゼロ高齢者の野垂れ死に(=下層の将来の姿)を許容することを意味する。こうして景気の悪化と社会の右傾化の相乗効果により、全ては自己責任で丸く収まるのだ。若いうちは低賃金で働かされ、年をとったら道端で死体の山を築く。これが下層に用意された人生である。完全な使い捨て労働力だ。しかも下層は、この悲惨な人生を受け容れる世論を自ら形成してくれるのだ。なんと皮肉なことだろう。下層は、自らが生み出した政府によって殺されるのだ。

右傾化に伴う自己責任論の拡大が福祉に及んだ例はすでに日本でも存在する。それが要介護者や障害者の自立支援法である。自立支援法では「受給者負担(=自己責任)」の流れが加速して、当事者達から「自殺支援法だ」と揶揄された。世論は、こういった当事者の声に対して徹底的に冷たかった。特にネットでの意見は酷かった。

 自己責任という言葉が流行したのは、まさに格差社会と保守的政策を加速させた小泉政権時代であった。小泉政権を支えたのは、いわゆる無党派層とか無関心層とか呼ばれる人々である。政治や経済に閉塞感を感じていた、いわば下層の人々である。彼らは自分が当事者になる可能性を考えているだろうか?自分が将来「自殺支援」されることに気づいているだろうか?

http://writeinthebackofads.seesaa.net/article/80581532.html  

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