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茨城荒川沖駅で起こされた無差別殺人事件と今回の事件の間には共通する所が大変に多い。
世間一般には、現在の日本の世情からの説明で終わるであろうが、実際には政治情勢上の事件などにおいて覆い隠したい事柄が生起した場合に意図的にこのような事件が引き起こされる可能性があると考えるものである。
今回の事件を受けてマス・メディアは私が予測したとおりの行動に出た。
事件の8日は日曜日で夕刊は発行されず、翌日9日は月曜日で新聞は休刊日であった。事件を起こすには真に都合のよい日であり、沖縄県議選の報道を避けるにも真に都合が良かった訳である。
そして9日月曜日の夕刊から10日火曜日の朝刊は一面から秋葉原事件で紙面が埋め尽くされたのだ。
カラー刷りで生々しく残酷な猟奇的に紙面が構成されていた。
劇でもなくヤラセでもないナマの殺人事件を「これでもかコレデモカ」と描き殴っている。
生命力の弱った老人が読んだら、卒倒して死んでしまったのではなかろうか。
一面に沖縄県議選での野党側の完全勝利を大きく伝えたのは夕刊紙の日刊ゲンダイだけであり、他紙は何処に報じてあるのかと探さなければならないほどの扱いだ。
私は茨城殺人事件の後に覆い隠したい事件との関連性について論じておいた。
茨城での「JR駅内無差別殺人事件」の警備には意図的な手薄が見られないか? 横須賀タクシー刺殺事件を背景に追いやる為か?
http://www.asyura2.com/08/senkyo48/msg/672.html
投稿者 新世紀人 日時 2008 年 3 月 24 日 13:34:02: uj2zhYZWUUp16
[両事件の共通性とは]
@両事件共に警察などの警備側は事件発生の可能性を前もって知っており、しかも不思議な事に警備をわざと手薄にしておいて、犯人を泳がせておいて事件発生と被害の拡大を容易にした可能性が疑われるのである。現場の捜査員や警官は被害を受けてやりきれない気分に陥ったことであろう。
A二人の犯人について「覚せい剤」の使用が疑われる事。これは犯行時のあまりの集中力の高さと異常な攻撃力に表れている。捕まった時の萎みようも覚せい剤使用の特徴と見る事が出来そうだ。
B二人の人格について秀才でありしかもプライドが大変に高いという共通性がある。これは凶悪犯にスカウトされやすい人格的特徴なのだ。
C両事件共にBとの関連性で暴力団との関連性が疑われる事。
D注意深く凶器に銃器や化学的毒物や爆発物が使われておらず、日本社会に伝統的な刃物が使われている事。これは刃物以外の凶器を使わせた場合に背景で演出し演習をさせた組織との関連性を捜査しなければならない事になるので、関係を断ち切る為に敢て刃物だけを使わせたのではないのか。
E二つの事件はかつてのオウム真理教による無差別テロ事件に似ている。目的はオウム教団が起こした事件と同じであろう。違うのは二つの事件では背景が見えず、単独犯行に見えることだ。背景を見せない為にオウムの様な進んだ凶器は使わせなかったと考えられるのだ。これら三つの事件は日本社会を崩壊に至らしめる破壊的テロ事件である。
秋葉原事件では前もって犯行予告をネット上で行い、しかも当日において秋葉原でトラックで乗り付けて事を起こすと携帯から発信していた。しかもその事を知った人が警察に通報し、警戒を訴えていたのであるから、
警察側としては秋葉原に入ってくる直前の道路で検問を行い、予測される強行突破に備えてタイヤにバリケードを放り込んで停車させる準備を整えておけば事件の発生を防ぐ事は出来たのである。
これをしなかったのは、警備をわざと手薄に命じて、犯人を泳がせて犯行に至らしめたものと考えられるのである。
そして、
携帯からのネット投稿は、実は、一般への犯行予告とレポートを装っての「依頼主」への犯行活動状況の報告であったと考えられる。
依頼主だけに報告をしていたのでは捜査段階で依頼主がばれてしまう。
一般への報告の形をとれば絶対にばれる事は無い。
同様の事は、犯人が福井県のミリタリー用品販売店に自ら出向いてナイフを購入し、しかもバッチリと自らをビデオに映して行った事についても言える。
凶器は「与えられたのではなく、自分の意思で購入したのだ」と「これを見ろ」と言わんばかりに自分を曝け出しているのだ。
この事件の少し前に埼玉県で二人の犯人が三丁の拳銃を使って起こした凶悪事件があったが犯人は一人が自殺して犯行は失敗に終わった。
このように拳銃を使うと購入ルートが調べられる事になる。
秋葉原事件の初めの報道では犯人が「自分は暴力団員」と語ったと報じられたにも拘らず、その後のマス・メディアは「暴力団」の言葉を全く出さなくなった。
本当に関係なく、犯人が勝手に語っているだけの事であれば出しても全く無害であろう。
この言葉「暴力団」を抹殺したのは都合が悪い(実は関係が疑われる)からではないのか。
二つの事件の犯人に共通する人格としての秀才とプライドの高さであるが、事件の起こし方が今はやりのドストエフスキーの小説「罪と罰」のラスコーリ二コフの様であり、自らを「天才」と誤解しての思い上がりの頂点の精神状態においての犯行である。
思い上がりの激しい人物や他人を見下したい人物を政治的凶悪作戦の手下としてスカウトする事は実は容易な事なのだ。
何故なら、本人達が使われる事を望んでおり、活躍の機会を与えられたいと望んでいるからである。
ラスコーリ二コフも同様であり、「天才病」に罹っていた。
彼らは自ら積み重ねを行ったうえでの報われる事も無いかもしれない歴史への貢献と言ったまどろっこしい事は出来ない。植草氏のように痴漢冤罪に追い込まれるかもしれないし他人から馬鹿にされ続けるかもしれない。
そのようなチャイニーズのような「愚公山を移す」様な生き方は出来ないのだ。
「直ぐに他人の上に立つ”勝利者”になりたい」…「自分は賢くて他人の上に立てて当然の人間だから」
このような人物達がスカウトされるのだ。
そしてこの手の人物達は意外にも世間に大勢居るのである。
と言う訳であるから、
既に何人もの対日本社会攻撃の単独犯に偽装された日本人テロリストが養成されていて出動を控えている事を警戒すべきであろう。
これから季節は熱くなり服装は軽装となり、人々は冷房施設の中に閉じ込められる。
茨城事件から秋葉原事件に向かって明らかに犯行に進歩が見られる。
刃物が使われた事に変わりはないが、2トントラックが使われた。本当は大型トラックを使いたかったのではないのか。
次に大量無差別殺人を銃器や化学物質といった背景を窺わせる凶器を使わずにさらに発展させて行うにはどのようにするか?
それについて私なりに予測できるところはあるが、それを書いて相手方の犯行を押さえきる効果が生ずるかは疑問である。むしろ相手方はさらに作戦を複雑化させるかもしれない。つまらぬ世間を騒がせる効果だけを生じさせても仕方がない。
それで、予測は書かない事にするが、
繁華街に遊びに出ることを控える必要はないと思う。
ただ、無防備な精神状態で遊びに夢中になっていてはいけないだろう。事件が起こる事に常に備えながら遊ぶべきだろう。
女性は逃げる時にはハイヒールは脱ぎ捨ててストッキングが破れることを構わずに逃げなければならない。
また近づく犯人から逃れられない時にはハンドバッグを振り回して犯人から距離を保たなければならない。そのようにして時間稼ぎをすれば功を焦る犯人は違う標的を見つけようとして方向を変えてゆく。
男性の場合は腕に自信があっても決して相手を倒そうとして乱闘してはいけない。
相手は薬物を使っていて「火事場の馬鹿力」以上の猛獣の如き俊敏さと筋力を備えている。
せいぜいかわすことが出来るだけであることを心がけておかなければならない。
遊戯施設やショッピング施設や建物の管理人は常々、お客様の避難ルートの確保に努めておかなければならない。何者かが知らぬ間に避難ルートに施錠してしまってルートを断つ事を行う可能性があるから、常にルートの点検を行うべきである。
秋葉原無差別殺人事件の裏には、沖縄県議会選挙報道の妨害目的ありではないか。許す事の出来ない政治的テロでは…?
http://www.asyura2.com/08/senkyo50/msg/695.html
投稿者 新世紀人 日時 2008 年 6 月 08 日 16:31:16: uj2zhYZWUUp16
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