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(回答先: 「 国会で審議をつくせ」と主張することの嘘(天木直人のブログ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 5 月 26 日 16:07:15)
http://www.amakiblog.com/archives/2008/05/26/#000898
2008年05月26日
裁量と言う名の権力の濫用
最近はかなり指摘されるようになってきたが、この国は内閣官僚制であると言われる。
つまりあらゆる政策のもとになる法律は、建前では政治家が国会で審議、採決して成立する事になっているが、実際は立法の殆どは関係省庁の官僚がつくり、政治家はその中身を理解することなく、数あわせで賛成し、官僚の法律づくりに寄与しているのだ。
そのいい例がたとえば今話題になっている年金や後期高齢者医療制度の法律なのである。
ところが、もう一つの官僚の大きな権限についてはあまり語られることはない。それは法律を適用、運用する際の、官僚に与えられた裁量権である。
どんな立法でも、必ず主管官庁の裁量権にゆだねられている部分がある。言い換えれば官僚は立法を起案する際に、必ず自分たちの裁量権を確保する文言を付け加えることを忘れない。
そしてその範囲が大きければ大きいほど、官僚の民間に対する影響力が大きくなるのだ。
問題は、この裁量権の範囲が実に曖昧で、相対的なものであるということだ。もっとはっきり言えばいい加減なのだ。
その一例を私は25日の産経新聞に見つけた。
森本充という記者の手になるその記事は、サイレンを鳴らして緊急走行するパトカーや捜査車両が、速度交通違反で摘発されるケースが最近相次いで起こり、捜査員に戸惑いが広がっているという記事である。
道路交通法施行令では「緊急自動車」の最高速度は一般道80キロ、高速道100キロであるという。だからこれ以上の速度で走れば、パトカーでも法令違反になる(警視庁交通総務課)。
しかし、猛スピードで逃走する犯人の車を追跡する場合、当然、その規定は弾力的に運用される。その根拠となるのが、違法性を免除する刑法35条の「正当行為」の適用だ。速度超過の必要性が説明できれば、速度違反に問われることはないという。
ここまではいい。
問題は各県の県警レベルで、捜査車両がスピード違反を犯したとみなして反則切符を切るケースが、まるでバラバラであるという実態である。
産経新聞の記事によれば、こうした矛盾が生じるのは、速度超過をめぐる正当行為の認定に判例や基準がないためだと言う。
警察内部でも捜査サイドと交通サイドで足並みはそろっていないという。
そしてこの問題は、誰もが矛盾を感じながら、なんの改善策もなされないままであるという。
このスピード違反問題は、警察内部の問題であるから笑って済ませられる。
しかし、それが一般国民に適用される法律の場合であったらどうか。
おそらく国民の生活や経済活動を規制する法律の中には、行政の裁量でどうとでも解釈できる部分が多くあるに違いない。
そして、その裁量基準も、このスピード規制の裁量と同様に、行政担当者の間にも確たる基準がないままに放置されているものが多く存在するに違いない。
腹立たしい経験をした事のある国民もいるに違いない。
国民は、最後は行政訴訟に訴えて、損害賠償なり処分取り消しを図る事が出来る事になっている。しかしそんな面倒なことは普通はしない。おかしいと思いながらも無き寝入りすることになる。
官僚が国民を支配するという事は、単に法律を作って規制することだけではない。法律の適用、解釈において絶大な裁量権を持って、国民生活を支配しているのだ。
官僚の裁量権については、それが濫用されていないか厳しくチェックされるシステムが必要である。
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