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2008年05月26日
「 国会で審議をつくせ」と主張することの嘘
ねじれ国会の弊害を強調する与党やその支持者は、決まって野党の審議拒否をなじる。
なんでも反対するのではなく、対案を示せと要求する。
さらには政局ではなく政策を語れと言う。
これらに共通する考えは、国会は審議をする場所であり、政治家は国会で論戦を行うべきである、という考えである。
空転国会を繰り返すような政治家は、政治家としての本来の責務を放棄することだ、という。
それは一見すれば正論に聞こえる。
しかし今の日本の国会審議の実態を知っている者にとっては、笑止千万な主張である。
そういう事を主張する者やメディアは、知っていながらそう言っているのだ。
官僚を経験した者であれば、今の日本の国会審議の八百長振りを知ってる。
明治以来の国会審議の中で、かつてはどうであったかは知らない。しかし少なくとも私が官僚を経験した1970以降の国会は、すべて官僚の書いた答弁を大臣が読み上げるのが国会審議であった。大臣が答えに詰まると、官僚が出てきて替わって答弁するのが国会審議であったのだ。
国会会期中の官僚の主たる仕事は、質問する国会議員から事前に質問内容を聞いて、大臣のために答弁を書く事である。
そして、国会審議の直前に、大臣を交えて即席の勉強会を開き、そこでどう答弁するかを振付けることである。
難しい質問であればその野党議員のところへおしかけて交渉をする。どういう答弁をすれば野党議員に華を持たせることが出来るか。そして納得して引き下がらせることが出来るか、そのシナリオまで野党議員と打ち合わせるのだ。
だから私は国会答弁などすべて八百長だと言ってきた。
ところが、私だけではなく、国会事務局の職員たちまでもがそう証言している事を知った。
26日の読売新聞の書評欄である「論壇」で、時田英之記者が、月刊誌「論座」編集部による「脳死国会」の中において、国会事務局の人たちが次のように述べていた事を紹介していた。
「国会は議論の場であり、与野党が真剣な議論を闘わせて最善のものを作りだしていく、というのは幻想」である、
「与野党の議員の職責はいかに自分たちの主張が正しいかをアピールすること」である、
と喝破しているというのだ。
そう言われてみて、確かに「なるほど」と頷いた。
国会審議とは、テレビの政治討論番組と同じように、自らの政党の主張の正しさを宣伝する場でしかない。そこで見られるのは、何が国民にとって正しい政策であるか、という事ではなく、屁理屈を並べ立ててもいいから、強引に自分の政党の立場を擁護、宣伝する事なのである。
テレビの政治番組がそうであるように、国会審議もまた、野次と言いっぱなしの一方的な言説の応酬でしかないのだ。
このような国会審議に意味があるはずはない。
いっそのこと国会審議は、あらゆる法案について、その採決に賛成か反対かと言う、賛否決定の場に徹底したほうが分かりやすくていいぐらいなのだ。
今の日本の政治は、政権をとるかとらないかの政局がすべてなのである。
そう割り切れば腹も立たない。政策論争などどうでもいい事になる。
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