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http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080403.html
【結いの心】
都会の貧困(5) 『独りじゃない』が支え
2008年4月3日
警察官に強制排除される座り込みの路上生活者と支援団体のメンバーら=1996年1月、新宿駅西口で
一人の路上生活者が通行人に向かって叫んだ言葉が、もやいの理事長、稲葉剛(38)の耳から離れない。
「おかげさまで人が死にました。皆さんの税金で行われる強制撤去で仲間が凍死しました。本当に皆さんのおかげさまです」。十四年前の冬、東京・新宿駅地下通路の「段ボール村」で、住人の毛布や段ボールが次々にはぎ取られた。
「あなたたちのせいで人が死んでるということを、一体どう思っているのですか。二人死んだんですよ」
都の職員が鼻で笑ったように見えた。次の瞬間、職員が放った言葉を稲葉は忘れられない。「二人? そんなんじゃない。十一人だ」。見て見ぬふりを決め込む冷たい社会と、無力な自分。路上生活者の叫びが胸をえぐった。
だが、行政を敵にした激しい闘争に変化が起きる。一九九八年二月、ストーブが原因の火事で、段ボール村の住人四人が死亡した。「路上生活から抜け出すことを考えず、ただ排除の論理と戦うだけでは何も解決しない。この悲劇は自分たちが招いたんじゃないか」
路上生活をしていた六十代の男性ヨシさん=仮名=との出会いが、稲葉の決意を一層強くした。
気さくなヨシさんは、持病があるのに酒をやめなかった。「病院は、倒れたら行くよ」。死に急ぐような生き方に、しびれを切らした稲葉は「禁句にしていた」言葉を投げた。「生きてりゃ、いいこともある」。しまったと思った瞬間、彼は烈火のごとく憤り、まくしたてた。「おれにどんないいことがある。老人ホームで独りで死ぬのがせいぜいじゃないか」。うろたえ、頭が真っ白になった。高ぶった感情のまま自分も口走った。「僕が嫌なんだよ。ヨシさんが死ぬのが嫌なんだ!」。ヨシさんは口元を結び、黙り込んだ。
翌週の福祉事務所。病院へ行く手続きをするヨシさんがいた。稲葉は悟った。野宿から抜けた後の暮らしが見通せなければ、人はそこから抜け出す意欲さえ持てない。そして、人の心を動かす基本は、まず「『あなた』と『わたし』というつながり」にあることを。
稲葉たちは路上から脱出した人たちに呼び掛け、数人で「新宿・くぬぎの会」をつくった。食事やとりとめのない会話から互いの素顔を知り、「支援者と路上生活者」ではない、人と人とのつながりが、そこから生まれた。「もやい」の雛型(ひながた)の誕生だった。 =文中敬称略
<東京都のホームレス強制排除> 1994年に始まり、96年1月には新宿駅西口の地下通路に「動く歩道」を設置するため、都が建設予定地にあった段ボールハウス100戸余りを撤去し、路上生活者を強制排除した。生卵を投げつけるなどの行為で支援者4人が公務執行妨害容疑などで逮捕された。
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