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(回答先: 【岩国基地 厚木機能移転問題】特集:深層を追う―沖合移設と愛宕山開発の歩み(中国新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 2 月 28 日 17:22:44)
http://www.chugoku-np.co.jp/iwakuni/Special/Is08021803.html
「負の歴史」が原点に '08/2/18
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▽墜落など市街地も被害/岩国・厚木
戦後、在日米軍の航空基地周辺では住民に重大な被害をもたらす事故は後を絶たなかった。それが岩国基地(岩国市)の沖合移設運動の動機の一つであり、人口密集地にある厚木基地(神奈川県)対策を政府が急ぐ理由でもあった。厚木の空母艦載機部隊が移ってくる米軍再編により、岩国は両基地が抱えてきた「負の歴史」を一手に背負うことにもなる。
軍用機の基地を抱える街は、墜落のリスクを抱える。飛行時間とルートが決まっている民間機とは違い、複雑な運用をするため日常的な訓練ですら危険とは隣り合わせ。事実、岩国市では戦後、多くの重大事故に直面してきた。
市によると一九四八年以降、基地周辺では自衛隊機を含め八十二件の事故が発生した。墜落、不時着、爆弾落下による火災…。岩国の所属機が沖縄など訓練先で起こした事故も加えるとさらに増える。当初は「夢物語」とも言われた沖合移設のプロジェクトが動いた背景には、不安を抱えた市民の切実な思いがあった。
厚木基地の歴史も重い。神奈川県のデータでは五二年以降、県内での米軍機事故は二百件以上。七七年に横浜市で墜落した空母艦載機のファントムは、母子三人の命を奪った。東京都内でも六四年、岩国基地所属機が町田市の商店街に突っ込み、三十六人が死傷した。
戦後、爆発的に増えた厚木基地の周辺人口は約二百六十万人。「都心で事故があれば、日米安保も破たんしかねない」と米政府当局者は強調する。「イワクニは片側が海。沖合移設で安全性はさらに高まる」。人口が約十五万人の岩国は比較論として住民被害のリスクは小さくなる―。それが日米政府の感覚だ。
機体の性能が上がり、パイロットの技量も向上した最近は、全国的にも米軍機の重大事故は減っている。ただ、危険はどの基地にも潜む。二〇〇四年八月、普天間基地のヘリコプターが、近くの沖縄国際大に墜落した事故は記憶に新しい。キャンパスで鉄の塊が黒煙を上げる光景に岩国市民も衝撃を受けた。岩国基地の所属機だった。
米軍再編後は、岩国基地の航空機数は約百三十機。過密化によって事故の発生率は上がる。将来の訓練形態や飛行ルートもまだ見えてこない。住民を巻き込む重大事故が発生すれば、日米安保体制を揺るがしかねないことは、厚木でも岩国でも変わらない。
▽九大構内に米空軍機基地撤去 記憶継承へ/68年6月・福岡
九州大に近い福岡市東区のビルの会議室に卒業生有志が集まった。一九六八年六月二日夜、米軍板付基地(現福岡空港)に着陸しようとした米空軍のファントム機が同大箱崎キャンパスに墜落した事故の目撃者たちだ。同機種を抱えていた岩国基地の沖合移設運動の直接のきっかけとなった衝撃から今年で四十年。六月に記念行事を開催する準備を始めた。
「日米安保が大きな岐路に立つ今、単なる回顧ではなく歴史の中から未来を考えていきたい」。呼び掛け人の石川捷治九州大大学院教授(63)=政治史=が切りだした。当時、大学院生。午後十時四十五分ごろ、下宿から大学方向に赤い炎が上がるのを見て駆け付けた。ファントムの機体は建設中だった大型電子計算機センターの四階部分に突っ込み、炎上していた。
乗員はパラシュートで脱出し、学生や教職員にも死傷者はいなかったが、目と鼻の先には放射性物質のコバルト60の貯蔵庫があった。キャンパス周囲には市街地が広がっている。まさに大惨事の一歩手前だった。
法学部三年だった弁護士の池永満さん(61)も大学近くで食事中に「ドカーン」という音を聞いた。大学に墜落したのを予想してか、早々とカービン銃を持った米兵が構内に到着していたが、学生たちが押し出した。「元凶は基地だ、と巨大な怒りにあふれた」
ベトナム戦争が泥沼化し、国内の学生運動も高揚していた時期。抗議と板付基地撤去の声は大きなうねりとなった。米国の福岡総領事館を囲むデモ行進には約五千人が参加し、九州大の学長や学部長も先頭に立った。市民も拍手と歓声を送った。世論の後押しもあって、七二年の基地返還に結びついた。
ただ、往時の熱気と記憶は、四十年の歳月と国内外の情勢の変化とともに風化してきた。新キャンパスへの統合移転計画が進む箱崎キャンパスには事故があったことを示す説明板一つない。岩国をはじめ各地の基地問題に波及した事故を語り継ぐ動きもほとんどない。
九大でのファントム墜落が契機となった岩国基地の沖合移設が、結果的に米軍再編の受け皿となったことに、石川さんたちは複雑な思いを抱く。「米軍再編は負担軽減というよりは基地の強化だ。あの日からの日米安保の流れを、もう一度検証しなければ」。そんな思いを強めている。
▽像に託す遺族の思い 民家炎上、母子3人死亡/77年9月・横浜
米軍機の事故を二度と起こさないで―。願い続けた横浜市の男性が一月三日、肺がんのため八十二歳で世を去った。土志田勇さん。一九七七年九月二十七日午後一時二十分、同市北部の住宅地に厚木基地の空母艦載機が墜落した事故で、娘と孫二人の計三人を失った。
「事故から三十年の区切りを終えたばかり。語り継ぐ輪が広がるのを見届け、ほっとしたのかもしれない」。親交があった同市の緑区米軍機墜落事故平和資料センターの斎藤真弘さん(66)が思い返す。この春を目標に、事故に関する資料館の開設を目指していた。昨年末に「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」と題して手記が再出版されたばかりだった。
あの日、横須賀基地が母港の空母ミッドウェーの艦載機であるファントム偵察機は、厚木基地を離陸直後にエンジントラブルを起こし、造成地に墜落。火の手が周囲の民家をのみ込んだ。
土志田さんの長女和枝さん(26)の長男裕一郎ちゃん(3)、二男康弘ちゃん(1)=いずれも当時=は翌日、死亡。負傷者も六人に上る大惨事となった。乗員二人はパラシュートで脱出。現場に飛来した自衛隊ヘリは乗員だけを救助して去った。
和枝さんも全身の八割にやけどを負った。わが子の死を知ったのは一年四カ月後。過酷な治療に耐えたが、事故から四年四カ月後、心因性の呼吸困難で帰らぬ人となった。「このような悲惨な事はもう二度とないように訴えなければならない」と日記に書き残して―。
事故は、日米両政府にも大きな衝撃を与え、厚木基地機能の移転を本格的に検討せざるをえない契機の一つとなった。
横浜港を一望する観光名所「港の見える丘公園」には、肩を寄せ合う和枝さん母子をモチーフにしたブロンズ像「愛の母子像」がある。
「わが子をもう一度抱きたかった娘の希望をかなえたい」。土志田さんの願いにこたえた市民が募金運動を展開し、八五年に建立された。横浜市は特定人物の像を規制する公園法の規定をたてに碑文を拒んでいたが、土志田さんの粘り強い訴えで、中田宏市長が方針転換。二〇〇六年、墜落事故を後世に伝える碑文がようやく取り付けられた。
【写真説明】上=岩国基地の沖合移設運動に火をつけた九州大のファントム機墜落現場。建設中の電子計算機センターに突っ込んだままの状態が続き、見物人も相次いだ(1968年6月) 中=ファントム墜落の記憶をどう語り継ぐかを議論する石川さん(左端)、池永さん(左から2人目) 下=亡くなった和枝さん母子をモデルにした「愛の母子像」。花を供える人が絶えない(横浜市中区)
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