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(回答先: 沖縄戦のわい曲批判 報道写真家が報告会(琉球新報) 投稿者 gataro 日時 2008 年 2 月 26 日 07:09:29)
「集団自決の真実」が語られ始めた
左翼運動家による「沖縄集団自決は軍命令」というキャンペーンは、ぬらりひょん福田政権になってからボリュームが増しました。
旧日本軍をどうしても「悪者」にしておきたい人たちは、かなり無理な主張を繰り広げてきた。だから、少しずつその嘘がばれるのである。
集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言
2008.2.22 23:13
沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。
この梅沢少佐のことは、ジャーナリスト・櫻井よしこさんも取材されている。そこでの取材内容と今回の証言内容はしっかり一致している。一方、嘘八百の著作(『沖縄ノート』)を出版した大江健三郎は、作家というより完全な左翼運動家。この梅沢氏はじめ旧日本軍人を、どうしても血祭りにあげたいらしい。
櫻井よしこブログ− 「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣」
左翼の自虐史観教育を受けてしまった人たちは、他にも、曽野綾子さんの単行本なども読んでみて下さい。
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実—日本軍の住民自決命令はなかった! 曽野 綾子(著)
過去の戦争を反省するのは分かります。また、多くの犠牲者を悼む気持ちも分かります。しかし、それを一方的に誰かの責任に押しつけようとする戦後人の心根はどうしたものか(これがGHQの洗脳教育の結果なのです)。これもまた「自分だけは正しく清い」と思い込んでいる人の特徴なのでしょう。
一刻も早く、梅沢氏はじめ祖国を守ろうと命を懸けた先人の名誉が回復されますように。
奥田健次の教育改革ぶろぐ
http://kenjiokuda.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c659.html#more
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