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(回答先: 後から声をあげる人たちを私は信用しない(天木直人のブログ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 2 月 15 日 15:13:48)
http://www.amakiblog.com/archives/2008/02/15/#000713
2008年02月15日
辺見庸の生き方に共感する
2月14日の毎日新聞「ひと」欄に辺見庸の生き方が取り上げられていた。その表題は、「闘病4年 政治の表層離れ新境地開く作家」とあった。私の目が釘付けになった。
辺見庸は、共同通信社の記者をへて91年に芥川賞を受賞した作家だ。しかし私の中の辺見庸はあくまでも権力と対峙する気骨の男である。特にイラク戦争以降の彼の政府批判の激しさは、多くの批判の中でも比類ない激しさだ。
辺見は04年、講演中に脳出血で倒れた。それは誰にでも起こりうる突然の病気であったのかも知れない。しかし彼がみずから述べているように、「売文稼業の者としてもっと他のことについて書いたりものを言ったりしたい人間」であった彼は、現状に対する義憤にかられて政権やメディアを激しく批判するようになったに違いない。
その激しい言論活動とひきかえに自らの健康を犠牲にしたのではないか。彼はまた05年には大腸がんを告白している。脳出血の後遺症と大腸がんと闘いながら、それでも反権力の言説を止めない辺見を、私は驚嘆と同時に、反骨に殉死するのではないかという一抹の不安を持って遠くから眺めていた。
その彼が、「辺見さん、人間、そう簡単に死ねるもんじゃないわよ。死ぬのも大変なのよ」、という女性看護師の言葉に気づかされる。
「生きる価値を考えるのがいかにぜいたくか。どんな状況でも、生き物はとにかく生き残ろうとする。表面的な政治より、死にひんする者たちの意思を書きたいと思うようになった」と、そのペン先を、「闘争」とは別の境地へ向けようとしているという。
私はこれを嬉しく思う。少しは休んでくれ。好きなことに専念して欲しい。そしてまた気が向いたら批判を始めて欲しい。とにかく生き続けることだ。
政治批判などに専念することは、それを商売にしている者たちにとっては割りのいい仕事かもしれないが、普通の人間にとってはくだらないことだ。
不正や嘘が明らかになり、それをどんなに指摘、批判したところで、権力を握っている者たちが改めようとしない限り何も変わらない。弱者は常にその悪の犠牲にされる。その事を我々は毎日のように見せつけられている。勝手にやっていろ、と突き放したいほどだ。
しかしあきらめるわけにはいかない。虚無的になってはいけない。権力者たちの不正、横暴に抗っていかなければ、権力者たちの悪が放置され続ける事になる。世の中は永久によくならない。
我々はそのような権力批判の役割を、一人の人間にまかせて安住してはいけない。その人間の言説に代弁させて、自らは安穏な生活に逃げ込んではいけない。辺見庸が休んでいる間に、一人でも多くが辺見庸の代役をつとめなければならない。そう思い思いながら、私はこの記事を読んだのだった。
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