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2008年02月15日
後から声をあげる人たちを私は信用しない
亡くなった小田実の、いかにも彼らしい言葉がある。デモ抗議こそ民主主義における市民の意思表示だという信念を、自らの言動で示した彼でしか言えない言葉だ。
デモの本質は、前後、左右を歩く人たちが、名前も、身分も語らず、また聞きもせず、ただデモの目的に向かって声を上げて歩き続ける事であるという。
その小田が、デモに参加せずに後になってから、実は私も同じ考えを持っているんです、と近寄ってくる、「私はそういう人を信じないことにしている」という。
その小田の言葉を私は15日の朝日新聞「ウオッチ」というコラムを読んで思い出した。
松浦祐子という記者の書いたその記事は、東京地裁が下した「名ばかり管理職」の判決について、利益ばかりを追求する経営者は「名ばかり経営者」と言わざるを得ない、厚生労働省は労働者保護のために管理職基準の厳格な適用を企業に指導すべきだ、と書いている。
その主張に何の異論もない。しかし私がこの記事で注目したのは、その主張ではない。「こんな当然の判決が、主要新聞の1面をそろって飾るなんて」と、労働関係者は喜びながらも戸惑いを見せた、というくだりである。
労働基準法では、残業代の支払いを免除される管理職は、経営者と一体的な立場にある人に限られる。慶弔や疾病時でさえ休めなかったこの店長が、労働基準法にいう管理職に該当しないのは、労働法を知る人の間では常識だったというのである。
常識であったなら、何故その「労働関係者」たちは、経営者の非常識な雇用態度を糾弾し、正そうとしなかったのか。なぜ店長が孤立無援でマクドナルド本社訴えなければならなかったのか。自らの正当さを認めた判決が出た時、その店長は涙を流さねばならなかったのか。
経営者の不正を知っていながら黙って見過ごす労働関係者ばかりだったから、多くの労働者が「名ばかり管理職」の名の下に不当な労働を強いられてきたのではなかったか。そんな彼らが、「こんな判決は当然だ」と今になって言ってみたところで鼻白らむばかりだ。
かつてフリージャーナリスト立花隆が田中元首相の金権政治を雑誌で告発した事があった。これがきっかけで田中元首相は失墜する事になった。その時、大手新聞の記者たちは、悔しまぎれに、「あんな事は皆知っていた事だ」とうそぶいたという。だったら何故書かなかったのか。
「後から声を上げる人たちを私は信用しない」。この小田の言葉が今輝いて見える。彼らこそ世の中の悪をはびこらせる共犯者だと小田は言いたかったに違いない。
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