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E.C.Prophet イエスの失われた十七年
*エリザベス・クレア・プロフェット著 下野博訳
イエスの失われた十七年 立風書房 1998年6月15日発行
福音書で見る限り、イエス・キリストは12才から29・30才くらいまでの消息が全然分からない。私たちが知っているイエスの知識は生誕から幼年期の少しとあと12才くらいの説明が少し、それから30才くらいからの3・4年の活動期だけなのである。この書はその失われた空白の間、イエスがインド及び現在のチベットを訪れたというものである。ここでイッサという名前で知られるイエスは仏教の奥義をマスターしてブッダとなった後、再びパレスチナに戻ったとこの書は主張する。
さらに一般的に12使徒のうち、トマス、パルトロマイ、マッテアの3人はチベット・インド・中国で福音を説いたらしい。現在残されている手書きの福音書は、もっとも早くても4世紀にまでしか遡らない。キリスト教成立よりその時までに、グノーシス派を始めとするさまざまな教えが異端とされ消えて行った。数多くの文書が失われ、そしてその中には現在の福音書と微妙に異なる教えの重要文書があったかもしれない。現代になって、新約として編纂される以前のそうした原始文書のいくつかが発見された。そしてアジアに向かったキリスト教もなんらかの文書をしたと考えても別に不思議ではない。
1894年、ロシアのジャーナリスト、二コラス・ノートヴィッチが「知られざるイエス・キリスト伝」をかいた。彼は1887年ラダーク(小チベット)を旅行中、古代仏典の中にキリストがインド及びチベットにきて、修行してブッダ・イッサとなったという言い伝え、及びそれを記録している「聖イッサ伝」の写しを手に入れたとされる。この本は成功を収めるのだが、当然一部学者たちからの批判反撃も激しかった。この過程でミュラーやルナンも登場するのだが、一応ノートヴィッチの業績というか、その本の内容は正統の学会からは無視されたままになるらしい。しかしそのあと、かなり信頼すべき人物たちがその真実性を認める。本書は第1章でそうした流れを概観し、2章以下ではノートヴィッチ(2章)、スワーミー・アベーダナンダ(3章)、二コラス・レーリッヒ(4章)、エリザベス・カスパリ(5章)など、そうした写本が存在すること、及びアジアの人々の間にイッサの伝説が広く伝わっていることを聞いた人々の証言から成り立っている。
さらにイッサことイエスはインドでもバラモンやクシャトリアから迫害されていたバイシャやシュードラの味方であったことなども書かれている。ここでの革命家イエスの描写は、新約で描かれたように既成の権威を恐れず民衆の立場にたって行動したイエスを髣髴とさせるものがある
[コメント]
イエスは13歳から29歳の間、インド及び現在のチベットを訪れ、仏教の奥義をマスターしてブッダとなったという説を紹介している。
イエスが仏教教団に入門し、修行を積んで、ブッダになったという説は、最近になってよく言われている。