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(回答先: マ元帥が天皇の戦争責任に言及しなかったことに天皇がまず感動し、占領政策への協力を約束した/豊下楢彦 投稿者 仁王像 日時 2008 年 9 月 20 日 16:53:22)
お互いに利用・協力の必要性〜「天皇とマッカーサー会見」の検証/豊下楢彦/朝日(夕刊)‘89.2.7から抜粋
〈地盤維持した元帥〜続く十回の会見こそ重要〉
・重要だと思われるのは、1986.12.8の本紙で紹介された一次資料である。それは、マッカーサーの政治顧問アチソンが記した、会見から一ヶ月後の10月27日の付の「覚書」である。アチソンにマッカーサーが直接語ったとされる、会談における天皇発言は次のようなものである。
「米政府が日本の宣戦布告を受領する前に真珠湾を攻撃するつもりはなかったが、東条が私をだました」「私は責任を免れるためにこの問題に触れたのではない。私は日本国民のリーダーであり、日本国民の行動に責任がある」
この短い「覚書」については、二様の解釈ができるようである。前段の東条非難を重視する見方と、天皇が自分の責任に触れた後段の見方である。
(中略)
要するに会見当時、天皇ばかりでなくマッカーサー自身も危機的、もしくは不安定な状況に直面していた。従って、マッカーサーにあっては、「政治的道具」としての天皇の重要性が改めて強く認識されていた、あるいはされざるをえなかったのである。
こうしてマッカーサーによる「天皇の利用」と天皇による「占領協力」という両者の波長が見事に一致して、相互確認が交わされたのが、この歴史的な会見であったといえるであろう。
〔臭うぞう〜〕
『マ回想録』の中で、昭和天皇が自分の戦争責任に言及し、全責任は自分にあるとし、マッカーサーを骨の髄まで揺り動かしたというのはマッカ(真っ赤)な嘘だろう。
このような重要な記事を夕刊に載せるところにもミソがある。歴代の政治権力の側をおもんぱかってのことだろう。