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(回答先: れんだいこのカンテラ時評368【「南州翁遺訓」考】 投稿者 こげぱん 日時 2008 年 2 月 14 日 01:52:14)
http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain
Re:れんだいこのカンテラ時評369 れんだいこ 2008/02/14 20:52
【「征韓論」考】
西郷隆盛の「南州翁遺訓41ケ条」を学んだついでに征韓論を検証する事にした。通説で云われているところの西郷征韓論、大久保時期尚早論という構図は甚だ怪しい。歪曲捏造説に近いという思いを深めた。それにしても、歴史家と云うものは何でかように詐術を弄するのだろう。今までのれんだいこなら分からなかったが、今は透けて見えて来る。
明治維新以来の特に西南の役で西郷派が粛清されて以降の明治維新から昭和へ至る過程いわばネオ・シオニズムに篭絡されており、彼らの意向に基く富国強兵に一途に勤しみ、日本帝国主義の道へひた走ったそれでしかない。その挙句大東亜戦争で召し取られるのだが、それは案外出来レースだったのかも知れない。
もとより歴史は一筋縄では解けない。西郷派は敗れたが、西郷亡き後も根強く支持基盤を持っており、両者は地下で常に暗闘し大東亜戦争まで辿り着いている面もあり、これを文章で書き表すのは至難の業である。もっとも単純に云えば、西郷派はかの時、日本−韓国−清国の三者同盟によるアジア主義を夢想していた節がある。これを許さなかったのがネオ・シオニズムであり、国際金融資本の首魁ロスチャイルド帝国主義であった。彼らは世界中に紛争を引き起こす事を良しとしており、そこに商機と世界支配計画上の姦計を見出している。
この抗争は今日も続いており、ネオ・シオニズム派の御用聞き政治家はアジアが互いに紛争するように排外主義的愛国主義と軍事拡張路線を鼓吹しつつ跳梁跋扈している。これに反し人民大衆は、下手に洗脳されない限りに於いては常にアジアは無論世界の平和と協調を良しとしている。当然イスラムの平和に通じる。
政治家が普通に政治をすればこの声を聞くはずのところ、ネオ・シオニズム派の雇われだからしてそういう政治はしない。常に危機を煽り、実際に紛争を引き起こしてはテロリスト退治という名目のチンケなジハードに向かい、これに唱和する。連中は、戸締り防衛論からいつの間にか国際貢献防衛論、国際信義防衛論へと定向進化させ、近頃では自衛隊の常備派兵を画策しつつある。
日本経済の景気は、連中が居座る限り決して良くならない。現在の不況は意図的に操作されている。景気浮揚の芽が出てくると水をかけ出鼻をくじく。政策を見よ。社会基盤整備に予算を使うことを執拗に妨害し、何ともいえないあるいはどうでもよいようなところに注ぎ込む。その癖ミサイル防衛網だとか戦術核兵器の共同研究だとか基地移転費だとかには途方も無い予算を計上する。景気が良くなるわけが無い。良くなるとしてもハゲタカファンド系辺り止まりだろう。
もとへ。れんだいこは次のことに気づいた。この連中が、意図的に西郷のアジア主義を隠蔽している。征韓論争を意図的に捻じ曲げている。れんだいこが習ってきたマルクス主義史学もなべて同じ視点から捉えているからして通底していることが判明する。れんだいこは、この種の教本をいくら読んでも却って馬鹿になる事を請合う。丁度著作権然りで、規制すればするほど我々の生活空間が狭まる。知的所有権という名の下で、版元業者規制ならまだしも、エンドユーザーの首を絞めて恍惚し合っている。この構図と良く似ている。
という訳で、郷の征韓論、否正確には特使派遣論を確認しておく。「征韓論の真実考」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/meibunhonyaku/saigoikunco/seikanronco.htm
へ記した。
窺うべきは、西郷派のネオ・シオニズム世界席巻政策つまり植民地政策に対抗する秘策としてのアジアは闘っては成らぬ、同盟して事に当たるべし、互いを戦争させるのは欧米列強の姦計である、これに乗せられてはならぬとする今に通ずる指南であろう。ここを問わない西郷論、遺訓論、征韓論争論、西南の役論は単なる趣味のものでしかなかろう。
思えば、戦後自民党の日韓交渉、田中角栄の日中国交回復は、アジア主義に繋がる快挙であったことになる。日韓交渉はともかくも、ネオ・シオニズムの米中国交回復交渉を制して執り行った日中国交回復は逆鱗に連中の触れた事は間違いなかろう。その角栄の末路は衆知の通りである。その角栄をもっとも悪し様に罵詈した者も衆知の通りである。
しかし、ネオ・シオニズムの虚構の論理は虚構ゆえに破産する。なぜなら、寿命はたがだかせいぜい百年であり、人は悪事にばかり勤しんではおれぬからである。世界諸国民の協和への道筋こそ、寿命有る身の者が向かうのに楽しく生き甲斐があり永遠の生命である。続々と列なる勢いは誰にも止められやしない。これは本能だから。
ネオ・シオニズムが世界に張り巡らした姦計が敗れる時、学問の姿も大いに面貌を変えよう。これまで悪し様に云われてきた者たちが復権し、名宰相と云われて来た者がエージェントでしかなかったというブザマさが明るみにされよう。そういう意味で、歴史に名を残す責任は案外重い。その日はそんなに遠くない。れんだいこはそう考える。
2008.2.14日 れんだいこ拝