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(回答先: 北風太郎ブログ、痴漢裁判 新潮45 2008年1月号「植草キョ―ジュの痴漢法廷闘争録」を読んで 投稿者 小沢内閣待望論 日時 2008 年 6 月 05 日 17:38:34)
http://hirarin601.exblog.jp/6608845/
今年最後の捏造記事?
横田由美子の転向
新潮45・1月号で、横田由美子なるルポライターが偏向記事を書いている。
今までさんざん書かれた捏造記事にゴシップ的要素を加え、植草氏への悪意に満ちた人物評で味付けしてある。
ことわっておくが「植草氏の法廷闘争録」という意味のタイトルがついているのは誤りである。
というのは、第7回以降の公判については何も書かれていないからである。公判が12回に及んだことは筆者にもわかっていたようだが、判決文さえ満足に目を通さずに書いていることは容易に見て取れる。
この裁判を客観的に検証しようと言う視点を持っているなら、第9回公判で新たな目撃者が現れ、植草氏の電車内でのアリバイ証言をしたことは、避けて通れないはずである。また、判決文の中ですら証拠にならないと認めている繊維鑑定を、今更「動かぬ証拠」などと書けばプロのライターとして恥になるだけである。この記事が偏見に満ちた視点で書かれていることを自ら認めたことにもなる。
筆者は2004年事件のあと、植草氏を取材して『無実』との心証を得、月刊現代で植草氏に好意的な記事を書いたそうだ。その筆者が今回植草氏を支持しなくなった理由として、二点挙げている。前回の品川駅事件の裁判で有罪判決を受けたにもかかわらず、植草氏が控訴しなかったことと、その保釈中に再び事件に巻き込まれたことである。
確かに、植草氏の支援者の中にも、このことを残念がったり、不可解に思う人は少なからずいたようだ。しかし、理由を知れば疑いも晴れる。植草氏は著書「知られざる真実」の中で、その疑問に答えている。もし、横田由美子がこの本を読んでいれば、それに反論する形で何か書くべきだろう。読みもしないで批判するとは、プロの執筆態度として稚拙にすぎないか。
ところで、私は筆者の背信の、本当の理由を推理してみた。
第7回公判以降、横田由美子は裁判に興味を失った。真実の検証などどうでも良くなってしまったようだ。なぜか?
それはたぶん、検察の出したゴシップ情報を聞いて、植草氏に幻滅したからではないだろうか。
2004年事件以前のこととはいえ、植草氏が風俗嬢を相手にするようなフツーの男だったと知って幻滅し、全身の力が抜けてしまったのではないだろうか。(笑)
まぁ、同じ女性としてわからないではない。この検察暴露があってから、植草氏の女性ファンも随分減ったことだろう。私もガッカリしなかったと言えば嘘になる。
ただし、この件に関して植草氏に面と向かって文句が言えるのは奥さんだけだと思う。我々第三者や、ジャーナリストと自負する人なら、直接犯罪の証拠とならない私生活を暴露する検察のやり方をこそ糾弾するべきである。「権力による私生活暴露」をおかしいと思わない時点で、この筆者はジャーナリストとしては終わっていると思う。
しかし、三流ゴシップ誌のライターとはこういうものなのだろう。
清野憲一検察官が、第7回公判でしてのけた暴露情報をベースに、わざわざ私生活で起きた風俗嬢とのコトの次第をつまびらかにして、植草氏を更におとしめようとする。人権意識のかけらもない、性根の腐ったライターのレポートは愚劣そのものだ。私は胸がムカムカし吐き気をもよおした。
ちなみに、この清野憲一検察官は、耐震偽装事件でも大活躍している。ヒューザーの小嶋進氏の裁判で、イーホームズの藤田東吾社長を証人喚問しようとしたところ、藤田氏が小嶋氏に有利な証言をするとわかって証人喚問をやめたそうだ。ここでも清野検察官のした仕事は真実の追究ではなく、検察のストーリー通りに被告人を罪に陥れることだった。今では自民党政権の中枢にいるという噂を聞いた。検察官が容疑をでっち上げて出世するのが、今の世の中のしくみだとわかる。
横田由美子は植草氏にある種の幻想を抱いていたらしい。空き家になった生家へ行ってみて、自分が思っていたようなセレブの邸宅ではなかったと文句を言っている。想像するのは勝手だが…。
ついでに家族までこき下ろしたいのか、「母親はお高くとまっていたというわけではないが、地域のために何もしなかった」という声を拾っている。悪口を書きたくてやっと拾った声がこれなのだから、冷静な読者は「現地では植草家の人々を悪く言う人は全くいなかった」と読み取るべきである。
ちなみに「地域のために何もしなかった」というのは事実と違う。地域の子ども達のために植草家では「幻灯会」を開いていた。「知られざる真実」には生家のことも誇張なく書いてある。本を読みもせず、事実を正しく検証しようともせず、ただ自分の思い込みとのギャップを強調しようとする筆者の態度が更に鮮明になる。
筆者は植草氏と三度会食をしたそうだが、その時の植草氏のしぐさや言動について、悪印象を与えるような描写をしている。その書き方はまるで、性悪女が腹いせに別れた男とのあることないことを思い出して悪口を並べ立てているのに似ていて見苦しい。
植草氏の言動を評して、反論になっていない、とか、答えがちぐはぐと書いているが、その根拠が全く書かれていない。私に言わせれば、印象操作を狙った捏造記事以外の何ものでもない。
更に、以下の記述は明らかな嘘であることを明記しておきたい。
・駅事務室に連れて行かれた植草氏が、一度は痴漢行為を認めた。
・新弁護団に変わっても有利にことが運んだ形跡はない。
・科捜研の繊維鑑定が動かぬ証拠だった。
・もはや彼を信じてバックアップしていた支援者は、ほとんど残っていない。
全体としてこの記事は、裁判のポイントを完全にはずしており、植草氏がシロかクロかを真実に添って検証しようとする読者には、なんの役にも立たない。
横田由美子によると、植草氏を今も支援している私たちは「狂信的」なのだそうだ。客観性が微塵も感じられないお粗末な記事の中でそう言われても、全く説得力を持たないが。
他人を根拠もなく「狂った信者」呼ばわりする前に、自分の記事が客観的で正当性のあるものかどうか、胸に手を当ててよく考えてもらいたい。
ルポライターという仕事を今後も続けるつもりなら、自分の記事が世の中にとって有用なのかどうか、書かれた人がどんな気持ちがするかをよく考え、「報道被害」という言葉を念頭に置いて行動してもらいたい。
by hirarin-601 | 2007-12-27 15:38 | Trackback(1) | Comments(0)
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