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社会福祉と経済成長を同時に実現した北欧諸国。政権交代が繰り返される中で、福祉と成長の関係はどのように変わったか。スウェーデンの新旧財務首脳に聞いた。
高度な社会福祉と経済成長を同時に実現した北欧諸国は、世界中から見習うべきモデルとみられている。
だが、現在の福祉国家は、古来の文化の中からではなく、近年になって登場したものだ。とりわけ1929年から32年にかけて、社会民主主義政権がスウェーデン、デンマーク、ノルウェーで相次いで政権に就き、労使間の歴史的な妥協を生み出し、福祉国家としての礎を築いたのだ。スウェーデンの政治制度
スウェーデンでは社会民主労働党(社民党)が32〜76年、82〜91年、94〜2006年と、長期にわたって政権を担ってきた。歴史の節目ごとに政権交代が行われ、これが政党間の健全な競争につながったといってよい。06年の総選挙では穏健党を中心とする中道右派連合が勝利を収め、福祉国家モデルはさらに修正が加えられた。
日本は今なお先進国中で一党支配を続けている唯一の国であり、これが構造改革の妨げとなっている。
政権の座に長いこと居座っている政党は、少しずつ世情とかけ離れ、意思決定が硬直化し、反応が鈍くなる。自民党はまさにそうだ。小泉純一郎元首相がさまざまな改革を試みたにもかかわらず、現在の福田康夫政権は、派閥の領袖や官僚の意向で、時計の針を元に戻してしまった。
社会主義的な政策の行きすぎは失敗する
硬直的な一党支配は、決して日本の文化に起因するものではない。かつて一党支配が続いた他の先進国でも、同様の問題を抱えていた。北欧諸国もその一つだ。日本の自民党が弱体化した産業や企業を保護しているのと同様に、北欧諸国も社会民主主義政権は過度に社会主義的になり、これが経済の停滞を招いた。
たとえば同一の仕事にはほぼ同一の賃金を支払う、スウェーデンの「同一価値労働・同一賃金」という制度。導入当初はこの制度によって労働生産性が向上した。ところが社民党はこれをさらに推し進め、教師、プログラマー、清掃作業員の給料を同じ水準にしようとした。そのため生産性と成長が阻害された。
また、北欧諸国では病欠を有給とする制度を導入しているが、その監督が甘すぎたために、多くの人々がこの制度を濫用した。デンマークでは80年代後半、20〜64歳の国民の11%が病欠または早期退職していた。92年にスウェーデンの保健大臣が、病欠第1日目を無給とするよう法律を改正したところ、欠勤が大幅に減り、この保健大臣をノーベル医学賞に推薦してはどうかという冗談さえ飛び出したという。
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日本がバブルとその崩壊、続く“失われた十年”を経験したのとほぼ同じ時期に、北欧諸国も同様の経験をしている。資産バブル、金融危機、ソビエト市場の崩壊が立て続けに起こり、経済危機が生じたのだ。スウェーデンではマイナス成長が3年続き、失業率が88年の2%から、94年には9・4%へとハネ上がった。財政赤字は、GDPの13%に急増した。自国の通貨を守ろうとして、金利をラテンアメリカ並みの500%に引き上げたが、効果はなかった。
北欧諸国の中道・保守政党が当初提案した解決策も機能しなかった。社会民主主義の行きすぎを正そうとして、これらの政党はレーガンやサッチャーの「新自由主義」的な政策を提案した。93年、デンマークでは自由党のラスムセン氏(現首相)が新自由主義的なアプローチを提唱した。スウェーデンでは、穏健党のラインフェルト氏(現首相)が、同様の政策を打ち出した。彼らは、政策の一部に行きすぎのあることが問題なのではなく、北欧の福祉国家モデルそのものが問題なのだと主張した。
しかし、やがてこれらの政党が政権を奪取して、新自由主義的な政策を実行すると、それが経済の混乱を引き起こし、まもなく政治的敗北を喫した。その結果、スウェーデンの穏健党とデンマークの自由党は、共に新自由主義を捨てた。穏健党は、今では自らを「新しい穏健党」と呼んでいる。米国のクリントン政権が自らを「新しい民主党」と呼んだのに倣ったのだ。
次第に歩み寄る右派と左派の政策
今日、スウェーデンもデンマークも一党支配の国ではない。両国ともに、社会民主主義政党を軸とした中道左派と中道右派の連合が、政権交代を繰り返している。スウェーデンの穏健党とデンマークの自由党が新自由主義を捨てたのと同じように、社会民主主義政権も社会主義的な色彩を弱めた。この両国は今でも手厚い福祉国家であり、所得の平等が行き届いている。しかも成長と効率を阻害することなく、むしろ促進するやり方で、福祉国家を運営している。社民党と中道右派連合の違いとは、福祉国家に成長促進政策を取り入れるべきかどうかにあるのではない。それをいかにして実現するか、その経路に相違があるのだ。
政権交代によって福祉と経済成長を両立させる政策がどう変わるのか。スウェーデンのパール・ヌーデル前財務大臣(社民党)と、ハンス・リンドブラート財務副大臣(穏健党)にインタビューを行った。
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スウェーデン前政権の財務大臣が語る与党の問題点
――現在与党の中核である穏健党と、あなたが属する社民党では、政策にどの程度の違いがありますか。
両党の違いは小さくなっています。両極端(共産主義と新自由主義)が共に失敗したからです。実際に、2006年の選挙で穏健党は、自分たちのほうがより社会民主主義的だと主張していました。
その一方で、穏健党は失業給付を大幅に縮小した。失業保険料は労働組合を通じて払い込むことになっているから、多くの組合員が労働組合から脱退したのです。これは、労働組合を弱体化させることによってスウェーデンモデルを是正しようとする、巧みな方法です。これでは労働組合運動は改革に対して後ろ向きになりかねない。組合員が減少するからです。
――構造改革では、職ではなく人間を守ることを強調しています。
そのとおり。これによって、わが党は改革に対する前向きな姿勢を打ち出しやすくなった。数年前、英国のブラウン財務大臣(現首相)と私は、『ソーシャル・ブリッジ』(社会の橋、の意味)という論文をまとめました。これは競争力を失った職から新たな職へと移動する人々に橋を提供しようという考え方です。スウェーデンの労働組合は、痛みを伴うけれども必要とされる構造改革に前向きな姿勢をとっている。まさに、職ではなく人間を守る社会保障が充実しているからです。資本主義を強化したければ、社会のセーフティネットを充実させないと。
――失業率が2ケタ近くまで上昇した1990年代の危機からどのようにして回復しましたか。
社民党は94年に政権に復帰したとき、財政赤字を削減するために非常に厳しい対策を導入しました。増税し、福祉を大幅に削った。有権者もこれを受け入れてくれました。その一方で、危機の真っただ中にあっても、国民の知識水準を向上させるために、教育には巨額の予算を割きました。4年後に巨額の財政赤字(GDPの9%)を黒字(GDPの約2%)に転じることができました。そして、国民の知識基盤を向上させたおかげで、国際的な競争力が高まった。
今や、スウェーデンモデルは多くの国から注目されています。教科書には、税金が高い国は高い成長が望めない、と書いてありますね。しかし現在、スウェーデンとデンマークは、GDPに対する税金の比率が最高であるにもかかわらず、おそらくヨーロッパで最も高い成長を達成している。
――高税率が成長を後押ししている?
そう。その例を少し挙げると、スウェーデンの育児休暇制度は世界一充実している。母親は18カ月にわたって最大で給料の80%の給付を受け取れます。これは非常に費用がかかり、GDPの1%に相当する。でもそのおかげで、女性の就業率が非常に高い。人口の高齢化を考えると、これは極めて重要なことです。
政府は、GDPの1%を研究開発に充てている。民間部門もGDP3%相当額を研究に充てていることを加えると、スウェーデンはGDPに対する研究開発費の率が世界一高いといえます。
――スウェーデンでは公共部門で働く人の割合が30%を超えていて、先進国の平均の2倍です。
政府が医療費を支払うということと、病院を民営化しないこととは別の話です。この点で、社民党と穏健党とは見解が異なります。スウェーデンにも民間の医療機関はあるが、うまくいっていません。効率化は大事ですが、介護部門では民間企業による介護が基準を満たさないという事件が続出した。そんなことからも民営化が成功するとは思えません。ただ、私たちはこの問題に関して原理主義に凝り固まっているわけではありませんよ。一部の分野では民間の提供者も存在しています。
Par Nuder
1963年生まれ。法務省勤務等を経て、94年に国会議員初当選。97〜2002年に社会民主労働党政権で筆頭首相補佐官、02〜04年に政策調整担当相、04〜06年に財務相を務めた
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現財務副大臣が語る福祉・成長モデルの修正
――穏健党内の「新しい穏健」派は、改革への道としての新自由主義を捨てました。
従来の穏健党の政策を吟味してみて、これでは有権者の10%を超える支持は得られないことがよくわかりました。つまり、その政策は国民の10%にしか恩恵をもたらさないということです。わが党は、豊かな人々が過去に抱えていた問題ではなく、普通の人々が現在抱えている問題に対処すべきでした。所得の再配分について、改革の効果は公平だと受け止められるようにしないといけない。国民に受け入れられない改革は、実施することはできませんから。
――スウェーデンモデルの核心は、市場の柔軟性と社会全体をカバーする厚いセーフティネットの組み合わせだと思われます。穏健党はこの考え方を受け入れていますか。
受け入れています。これは、リスク分散の手段として保険に入るのと同じで、公的資金で賄う社会福祉制度によって、すべての国民にリスクを分散する制度です。日本ではセーフティネットは会社が提供していますが、これは私たちの制度よりもリスクが高いと思います。私たちはこの制度を維持しつつも、働くことへの適切なインセンティブを再構築したい。スウェーデンの人口は900万人にすぎないのに、就業可能年齢にもかかわらず100万人を超える人々が職に就いていませんでした。新しい穏健党の政策の核心は、この数値を引き下げることです。この点については成功を収めつつあります。病欠はすでに13%減少し、不就業者の数は昨年度、16万4000人減少しました。
――従来のスウェーデンモデルのどの部分を改革し、どの部分を維持すべきだとお考えですか。
従来のモデルの大部分は維持すべきです。働くことで利益が得られるようにする一方で、公的資金で賄う福祉制度がうまく機能するようにしなければいけませんね。社民党は20年前にこのモデルから離れ、福祉制度に依存して暮らす人が増えました。その結果、制度は安定性を欠くまでに悪化しました。スウェーデン社会の高齢化を考えると、放置できません。
――ではなぜ、穏健党の支持率は大幅に下がっているのですか。
先日、首相が話されたように、改革政策とは厳しいものです。わが党は、4年の任期の初めに厳しい部分に手をつけました。これからは、医療、教育、研究、インフラ整備などにもっと資金をつぎ込むことに焦点を当てます。今後の数年間は、国民には明るい面を見てもらいたい。それには資金が必要です。厳しい面を実行せずに、雇用を増やすことはできません。厳しい面を実行することで、税収を強化し、その他の政策の実現が可能になるのです。
従来の穏健党は、GDPに対する税金の割合をヨーロッパの平均並みにまで下げることを目標としていました。わが穏健党には福祉国家の放棄を唱える者もいましたが、スウェーデンの国民はそのような改革は望んでいない。私たちは、中・低所得層のもっと多くの人々が職に就くように、この層の所得税を減税しようとしています。そして今後は、財政黒字を減税に回すのではなく、支出増大に充てることに集中するつもりです。
Hans Lindblad
1960年生まれ、経済企画庁、財務省、スウェーデン中央銀行などを経て、2003年に現財務相のアンデシュ・ボリーに請われ穏健党に入党。06年より現職
(レポート・インタビュー リチャード・カッツ記者 =週刊東洋経済3月15日号より)
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