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(回答先: ”正社員” 投稿者 東京音頭 日時 2009 年 1 月 07 日 01:34:12)
各論客を前にして畏れ多いのですが、「自分探し」という言葉は昔からあるとおもうんですよ。
「青春の彷徨」、あるいは、「汝自身を知れ」とかいうことばでね、彼岸楼さんがかかれたように、「モラトリアムの(時代)」という言葉もありました。
私は否定的にはとりません、しかし、今の環境の中でその自由を行使して、「有意義な時間にすることが出来るのは」、適切な言葉が出てこないのだけど、それなりの「底力のある人」たちだとおもいます。すべての人が出来るわけでないと思います。
「小人閑居して不善をなす」ほうが多いのかもしれません、だから中学生にクラブ活動を通じ、へとへとにさせて無駄なことを考えさせないというのは、一理あることとおもいます。
「自分探し」は単なる人生に一時期の課題でなく、一生の課題です、ただし其れにこだわっても、実用的に、「役に立つ」ことなぞありません。
思うのは、社会のシステムとして、そうした「無駄にみえる時間」を、若いときだけでなく、10年ぐらいごとに、無給でも良いから、三月ぐらい休みを取れるようなシステムを作ることだと思います、国民の多くにその「青春、中年、壮年の彷徨」の特権が行使できるようすることだとおもいます。こんなシステムがあると、世の中が落ち着くし、疾病率も減る、国民医療費の節約になる。こんな呑気なこと書いているとしかられそうだけど、それほど間違ってはいないとおもいます。
何度も書いたから簡単にしますが、
悲劇は、電通あたりがマスコミを使って仕掛けた、商業主義と結びついた、個性、自由という言葉の「からくり」を国民が見極められなかったとおもいます。かっての、コカコーラ、レナウン、サントリービールのCMに私も幻惑させられました。
「自由」はそれなりに、厳しいものであり、この行使を有意義に享受できるのはそれなりの精神性が必要です、だから、自由から逃避したいという人たちが出ても不思議はないとおもいます、そうした人たちが世を支配した時代は「ついさきごろ」あったんですよ、「ナチ総統」の時代です。
個性、人の持ち味、(潜在的)職業的適性ということなら、其れ伸ばそうとしたり、評価することに、私は異存ありません。
「モーレツから、ビューテイフルへ」、これは、言葉だけが上滑りしただけだったとおもう。その点、「赤信号みんなでわたれば怖くない」、これは、金もち、貧乏人、老若男女、国民全体に強いインパクトがあり、この言葉の流行は、その後の各階層、職域にわたる, 集団無責任性、個々の倫理観の崩壊を暗示した、とおもう。
私の嫌いな言葉、
「マスコミのジャーナリズム精神は死んだ」
もともと存在しないものに、「死」はありません。