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一縷の望みを賭けて、阿修羅に書き込みをしてきましたが、もう駄目ですね。
地球から、少しでもゴミを少なくするには「一人一人が意識をして、多少不便で面倒でもゴミを減らす工夫をするしかない。
それは、当たり前のことです。
労働者の地位向上を果たし、すべての労働者が生きられる賃金を得られる状況を作ることによって、貧困層の購買能力を底上げし、日本経済の内需拡大することによって、すべての庶民が生きられる経済状況を作るためには、国民の一人一人が安売り競争への「NO」という意思表示をすると共に、安売りで物を買うのを我慢すると共に、低賃金コストで働こうとする労働者の労働力の安売り競争を否定しなければならない。
これも、同じことであり、すべての労働者、すべての庶民の意識が、利己主義的な方向に走りたいと思う心を「捨てるように努力する必要がある。」
政治が悪い、政府がなんとかすべきだ。
その政府を多数決によって選んできたのが「自分たち国民」であったことは棚上げし、その政府に頼ろうとする依存心がある限り、労働者の自立は絶対に達成されない。
そんな、簡単な理屈と、因果律としての流れを「いくら説明しても分からないのなら、すべての手は尽きている。」
すべての人たちが、利己主義と自己保身に奔走している。
すべての企業が、利益最優先に突き進んでいる。
そして、それを是認し、当たり前と主張する人がいる。
すべての組織が、組織の維持発展を最優先事項とする。
人道主義を掲げるのすら、党利党略の一つの手法になってしまっている。
一見、良いことを言っていても、自分の場所には火の粉が来ないように意識し
「実際に日本の地で、餓死・凍死の危機に見舞われている人がいることを知っても、見て見ぬふりを決め込む」
その上で、政府批判の材料とする。
政府の累積財政債務が膨大な額になったのも、すべては自分のところに水を引こうという我田引水を「納めた税金以上に要求した結果」であり、政府の失政だけではなく、国民が自ら招いたことであるのに、政府依存しているという意識すら持ち合わせていない。
以前、松浦さんは
【川と筏と乗っている物 松浦】
http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/185.html
と言う投稿をした。
その中で松浦さんは
【世界を川、筏、乗っている物の三種に喩えて説明する。】
と前置きし
【川は、物象性の一方向の不可逆的流れを喩えた表現である。川の水がそれ自体で上流に向かって逆流することが無いように、「歴史」も欠落してゆく物象化の方向は定まっており、川にも山の頂きの始まりから海に至るところの終りがあるように、「歴史」にも始まりと終りとがある。】
と書き
【一般物象論においては、時間の存在とは別の次元に在るため、過去と未来は完全に等価で、過去を知ることと、未来を知ることは同時に成立する。】
とした。
これをKは、「今を見れば、過去から未来までを見通すことができ、定まっている未来は、川を流れ下る筏の上で騒ぐように、変えられない。」と解釈し
【お疲れ様でした。 ところで、不確定性原理・シュレーディンガーの猫とか知ってますか? 考察者K】
http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/187.html
と返し、「未来はまだ定まっていない。努力は続けるべき」とした。
今、思えば、松浦さんの慧眼を、つくづく思い知らされることである。
Kは、自分の不知に恥じ入るばかりである。
おそらくは、松浦さんは、Kの憑き物落としごときでは、わずか一人の憑き物すら落とせないということを見通していた。
そして、今日、Kがあきらめの感情を抱くことすら予測していたのだろう。
人から「利己主義・自己保身」を我慢するように啓蒙しても挫折するだけ、とカンパしていたのだろう。
ベーシックインカム・日本に出稼ぎに来る外国人・帰化をしない在日外国人・その外国人を許そうとしない日本人・・・
すべてが、自分にとって都合の良い未来を描こうとし、奪おうとするだけで、与えようとしない「考え方」であるのだろう。
終わっている。もはや、望みはない。