★阿修羅♪ > 雑談専用34 > 753.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 高原山黒曜石産地遺跡群で国内最古の採掘坑 後期旧石器後半と確認 【産経新聞】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 12 月 28 日 11:52:44)
高原山遺跡で原石加工 「日本人どこから?」に一石
2007年04月14日12時09分
栃木県北部、高原山の黒曜石原産地遺跡で見つかった約3万5000年前の石器は知的で効率的な作業の痕跡で、旧石器時代のイメージを塗り替えるものだった。世界の人類史と日本列島が結びつくと研究者は注目。日本にどうやって人がやってきたかを考える手がかりでもある。
今回の調査にかかわった小野昭・首都大学東京教授(考古学)は、ある懸案に答えが見つかったという。
●「舟に乗って」
「日本人の祖先は、舟に乗って日本列島にやってきたということですよ」
黒曜石の石器は、関東地方の3万年以上前の後期旧石器時代の早い時期の遺跡で多く見つかっている。そこには伊豆諸島・神津島産の黒曜石も含まれている。氷河期でも伊豆半島と陸続きになったことはない。舟を使うほかないが、「そんな古い時代に舟などあるはずがないとして、議論が深まらなかった」という。
どうやって人類が日本列島に渡ってきたのかは大きな謎だ。獲物を追いかけ大陸から来たと考え、陸続きだった時期を割り出す研究もあった。しかし、氷河期の最寒期でも対馬、津軽両海峡は干上がることはなかったことが分かってきた。
「黒曜石は当時の人々に特別な存在。氷河期の厳しい環境の中、険しい高原山に登る方法を見いだしたのと同じように、神津島の黒曜石を求めて舟を作り海にこぎ出して何の不思議もない。きっと、もともと舟で日本に来たはずですから」
小野さんの今の考えだ。
●進化への懐疑
高原山の発見がもたらすさらに大きな衝撃は「人間は進化する」という「常識」への懐疑かもしれない。
発見者である田村隆・千葉県立中央博物館歴史学研究科長の研究の歩みが、そのことを物語っている。
千葉県出土の石器の原料となる石の取得地を探し出せば、当時の人の行動範囲が分かるはずだと考え、研究を続けてきた。知的レベルが低く石材は拾うしかなかったとされていたので、関東地方の河原を巡り続けた。だが20年続けても、手がかりは乏しかった。
そんななか、城西大講師の国武貞克さんの提案で、02年に原石産地そのものを探すことにした。これが05年の高原山遺跡の発見につながり、約4万〜3万5000年前の石器が見つかった。
近年の人類学では、人間は徐々に進化したのではなく、6万年ほど前に一気に進化し、その結果、アフリカから世界に広がることができたという仮説が主流。今回発見された石器の年代は、この仮説に符合する。
国立科学博物館の篠田謙一・人類第一研究室長(分子人類学)は「氷河期にアメリカ大陸に渡った人たちが、その後、環境の変化に対応して独自に農耕を始めた。思考・行動する基本的な能力は5万年前の人も、現代人も変わりはないはずです」と語る。
今回の発見を、藤本強・東京大名誉教授(考古学)は、こう見ている。
「田村さんと国武さんだから探し出しえた。新たな遺跡がまた発見されるでしょう。これまでは、思いこみのために、見えなかったものがあるはずですから」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200704140116.html