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(回答先: 仕事の作り方 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 12 月 17 日 12:22:06)
>ワヤクチャさん どうもです。
冬眠してるのですが・・・、まあ良いか(苦笑)
生活協同組合から学べることは多いと思っています。
しかし、従来の生協には限界もあると思っています。
生協というのは「消費市場」が先にあるのです。
Kのイメージとすると「労働市場を先に持ってくる必要性」を考えるときだろうと思っています。
あえて表現するのなら「労働協同組合」となるのでしょうが、順序からいうと、「労働者は、先に労働の場があって、その対価報酬を得てこそ、消費が出来る。」という「価値観の変更」が必要だということです。
従来の生協は「市場原理社会の肯定上にある消費という需要を見込んだ事業」となっているのでしょう。
Kが考えているのは「労働」が、消費の先に来る社会です。
まあ、資本家層と労働者層が「本当の意味で対等」を実現するためには、「企業が用意した労働(=現社会的有給労働)」に依存しなくても「失業者という位置づけであっても、自分に出来る範囲の社会貢献(=労働者としての労働)と引き替えに、生活が出来る。」という社会です。
現社会的有給労働と、労働者としての労働の違いを「明確に区別する」のが大変でしょうが、社会には「賃金の発生しない労働」というのは無数にあります。
そのうちで「自分のためではない行為」は基本的に「労働」と見なし、それに対して、労働層は「対価賃金を考える」ということです。
現行の実例とすると「労組の専従役員の給与は組合員の負担金」として「企業ではない場所から支払われている」のですが、これと同じように考えて、社会に暮らす、全ての「企業から対価労働を支払われない、社会的貢献費」を「社会全体から捻出・負担する」ということですが、現行では公務員労働者に支払われる税金からの給与に近いのでしょうが、公務員も「国が必要と定めた公的な労働」として「早い話が、支配家層が勝手に定めた有給労働」ということです。
この「有給労働(賃金が支払われる労働)の範囲」を「労働者層が設定して、賃金を支払うことで、失業者を救済する。」という視点が「労働創造」に当たります。
ちょっと、理解しにくいかなという気もしますが、端的に言うと「生協は通過点でしかなく、さらに上を目指すべき」という意味ですね。
では、ここまでにします。