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(回答先: 保守政治の基本は。。 投稿者 まとおせ 日時 2008 年 12 月 06 日 17:01:40)
保守政治が「失うものを持たせる」それを維持保存したい(これは私の追加分)
という人々の欲求に基づいているとすると、保守政治が継続するためには
多くの人々がある程度の財産、安定感、満足感を持っている必要がありますよね。
ところが、競争に継ぐ競争、その結果で判断される社会を作ってしまうと、脱落する人々が
大量に出てくるわけで、しかも、能力だけで判断される社会では
落ちたが最後、這い上がるのは非常に難しい。
これで保守政治が続くわけが無い。
と、ここまで書いてみたが、どうも心の座りが悪い。
自民党の政治を保守政治と呼べるのかどうか。
毎年年貢を集め、その年貢で自分たちがやりたい放題。それを知った民百姓に不平不満が
昂じ始めると、年貢の中から少しばかりの糧を施し、
「どうだ、慈悲深い藩、藩主だろう。感謝せい これからも仕事に精出せよ」
「ありがとうごぜ〜ますだ、わしらこの藩に生まれて良かっただ。藩主さまは、ほんに情深い方じゃ」
こんな感じだろうか。しかもバカ殿であっても藩主は世襲だし。
この様にすると江戸時代と現代、300年の時空をまったく感じないな。
そのまま時代劇が一本できるんじゃないの。
こんなの保守政治と呼べるほど理念ある政治なのかな。
私の田舎は非常に貧しかったのだけれど、選挙になると大半が自民党に投票したのね。
しかし、今では目も当てられないほど寂れてしまったよ。
日本の伝統的精神や文化は「歌舞伎」や「能」にあるのではなく、
本当は日本の地方の村に有ったのじゃなかろうか。
自民党はそういうものを壊していったのではないかな。
自民党に大政治家などいなかった、居たのは伝統的に我慢強い人々だけ。
秋葉原の事件は蛮行には違いないです。ただ私には被害者や遺族の怒りや悲しみに焦点を当てるだけ
でいいのかと言う気持ちがあります。特にマズゴミがそれを強調する時にはある意図を感じますし。
私は死刑には疑問をもっています。
そのきっかけはだいぶ昔の事件ですが、かなり猟奇的な大事件なのです。
裁判記録から犯人の生い立ちまで追った本を昔読みました。犯人は極貧の中で生まれそだち、
それゆえバカにされ、相手にしてもらえず、しかも苦労した母親を早く亡くしてしまう。
母親の亡くなり方も貧乏故のものでした。案の定犯人は、ぐれてヤクザの世界へ入ってしまう。
そして少年のころ受けた仕打ちに対して仇討ちのようなことをしてしまう。
もちろん事件当時はテレビ、新聞大騒ぎしたことを覚えていますが、結果の重大性はわかっても
犯人の生い立ちなどこの本を読むまでは知りませんでした。テレビもそんなことを報道しないしね。
私が感じたことは、この犯人も好き好んで貧乏な家に生まれてきたわけではないだろうに
たまたま生まれてきた家が極貧であったがために、バカにされ続け、生きなければならなかった。
極貧を生み出す政治、貧乏だからと言ってバカにする社会がこの犯人に対して何も責任がないのか。
結果が重大だから極刑とすぐ結びつくのかということです。
安い正義感と言えばそうかもしれませんが、その時以来私は死刑に疑問を持ちつづけています。
鳩山が法相のころ死刑を立て続けに執行しましたが、この様な自民党金持ちボンボンに何が分かるか。
と腹が立ちましたね。
取り留めのないことを感じたまま書き連ねてしまいましたが
お許し有れ。