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(回答先: 死刑や刑罰が犯罪防止の抑制になりえるのは、 投稿者 まとおせ 日時 2008 年 12 月 01 日 13:55:56)
まとおせさん、お邪魔します。
死刑や刑罰が犯罪抑止として働くのは
娑婆にまだまだ未練を持つ人々に対してだけであって
娑婆に絶望した人々や、自殺型の人々にはあまり抑止力
を持たないということですね。
そうかもしれません。
そうであるならば、死刑や厳罰を犯罪抑止力として有効に働かせるためには
人々に娑婆がある程度良いところだと思わせなければなりませんよね。
社会が或いは多くの人々が安定安心してはじめて有効なのでしょう。
ところがどうですか、現状は。
まとおせさんが指摘しているような体たらく。
多くの人々を絶望させるような社会構造を作って
絶望も自己責任ではいくら温厚な私だって荒れ狂いまっせ。
私は社会には文化力と言うようものがあって(それは何かと言うと
その社会の持つ文化が自分を含め人間の愚かさを認めつつ人間を許していくというような力、
つまり、そこに住む人々の思想、感情の奥深さや、包容力です)
そのようなものが極端な絶望や疎外感に落ち入る人々を救うのだと思います。
それは犯罪や自殺を減らす力でもあると思うのですよ。
競争、競争で結果だけを求める社会にそのような力が働くのでしょうか。
凶悪な事件が起こる、そして厳罰化。そのような単純な流れでいいのでしょうかね。
秋葉原の事件はほとんど自殺です。
犠牲になった人たちや遺族の人たちの怒りや悲しみは分かりすぎるほど分かります。
ただ犯人の男に対しても可哀想にという感情も私には湧いてきました。
彼をそこまで追い込んでいった背景は何だったのか。社会は何だったのか。
彼の絶望も彼だけの責任だろうか。
まとおせさんのおっしゃるとおり
> 霞ヶ関の元秀才たち、太郎ちゃんとそのとりまきたちはわかっているとは思えない。