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この事件が起きたとき真っ先に思い浮かべたのが過去のTV番組の「必殺仕置き人」シリーズである。このシリーズ番組は正式な手続きによらず、いわゆる私刑によって仇をうつことを主題とした番組だった。当時から感じていたことは、そのおぞましさである。フィクションでのおぞましさが現実化したことによって、今回の事件のおぞましさを一層強く意識せざるを得なかった。 容疑者は、子供時代にかわいがっていた飼い犬を殺処分されたことに対する恨みから、元厚生次官を殺すことによって仇を討ったといっている。容疑者はまたボランティアで捨て犬の世話をする団体で活動した時期があったという。少なくとも容疑者は熱心なペット愛好家だったことは事実だ。マスコミは容疑者の動機が不明としているが、動機ははっきりしている。容疑者が語ったことが全てである。常識的に考えれば、犬の殺処分と殺人とは容易には結びつかないが、容疑者にとっては直結していたのである。年間数十万頭の殺処分されるペットたちの仇討ちであり、私刑である。それが的外れの相手であったとしても。何の罪もない被害者には冥福を祈るしかない。 容疑者は社会との関係を絶ち、周囲に対して粗暴な行動を取っていたという。今回の事件について、これまで頻発した「相手は誰でもよかった」という殺人事件との類似性を容易に指摘できる。犯罪者はいずれも社会の中で強い疎外感を持ち、自らの存在感の無さにいらだちを深めていたのだろう。将来が見えない中で社会的に大きな注目を集めることを行なうことで自らの存在を世の中に知らしめ、存在感を獲得する。今回の事件が元厚生事務次官に的を絞っていたことは大きな違いはない。元厚生事務次官であれば誰でもよかったのである。 今回の事件について、容疑者の金銭的余裕を根拠に、背後に秘密組織の存在の可能性を指摘する向きがあるが、それはないと思う。普段から粗暴な行動を行なっていたことを考慮するなら、恐喝などで強引に金銭を巻き上げていたことも想像できる。容疑者の遺留品の全てが単独犯行であることを物語っている。しかも仮に複数犯であるならば、そのうちの一人が出頭することは、残りの者たちにとって非常に危険な行為であることはいうまでもない。供述のつじつまが合わなくなるからである。 前置きが長くなってしまった。世の中の常識で考えれば、なぜ殺人に向かうのか理解しがたい事件が近年になって多発していることは間違いないと思う。言い換えれば、殺人の閾値が低下しているのである。常人から見ればささいな理由で殺人を実行する。こうした傾向は社会・経済状況が関係していることは容易に想像できるが、それに加えて近年の死刑執行件数の異常なまでの増加が影響している気がしてならない。今年の執行件数は既に15人を数えている。 このような状況は社会的風潮として殺人の閾値を下げる働きをしているのではあるまいか。わたしはそう思う。犯罪者の中には死刑になりたくて無差別雑人を行なうものも少なからず現れるという状況である。次々とまさにベルトコンベア式に死刑が執行される現在の状況は過去30年以上なかったことである。人の命が軽くなっている。そう思わずにはいられない。 |