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(回答先: 貴方は貴方でやればいいです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 11 月 07 日 12:44:41)
>ワヤクチャさん どうもです。
>【貴方は貴方でやればいいです。】
まあ、それは言われなくても考えていることです。
別に一緒にやりましょうと誘っているわけではありません。
>【私は生協を発展させて雇用を増やします。
市場を創出するという事です。
新たな商品を作る事は市場を創出する事ですから。】
仕事の内容を詳しくは知りませんので、よく分かりませんが、本当に市場の創出になっているのでしたら良いことです。頑張ってください。
でも、Kの知っている範囲では生協の仕事が「市場の創出になる」とは思えません。
生協で食品を買う人は、近所のスーパーなどからの食品を買うのを減らすはずですから、極端に言うと「地域産業を淘汰して、職を消滅させている面もある。」と思います。
まあ、生協の仕事を批判しているわけではなく、物事は、ある一定方向から見るのは間違いの元という意味であって、生協の仕事にも「他の人の事業に全く影響を与えずに市場の創出をしているものがある。」かもしれません。最初にも書きましたが、Kは詳しくは知りませんので、ハッキリとは分かりません。
>【救うのなら直接救うべきであり外国人労働者を排除して救うなどというお門違いはやめるべきです。】
どうすれば良いのか具体的に書いて下さい。市場の創出という意味かもしれませんが、そんなものは個人でできることではなく、政治が取り組むべきことでしょう。
>【外国人労働者を排除しても日本人労働者の雇用が増えるとは限らないというのは真実です。
雇用の権限は事業主にあるのであり事業主でも無い者が勝手にあてにして外国人労働者を排除するのは勘違いもいい所です。】
ここは、繰り返して蒸し返されているようですが、今までもこれからも「強弁されるだけで」なんら論理的な説明は出てこないでしょうね。
そもそも、ワヤクチャさんが「総務の仕事が海外に移転している」と書くまではKはそれを知りませんでしたが、仕事の量というパイは変化せずに、仕事の椅子を「低賃金コストにおいて奪い合うから、生産拠点の転出とか、総務の転出」とかが発生することはワヤクチャさんも「分かっていながら、屁理屈を述べているだけ」ですよね?
仮にワヤクチャさんの言うように、100%【雇用の権限は事業主にある】として、労働者の意見も利用者の意見も反映することがないのなら「労働運動そのものが無意味」ですよね。
無論そんなことはありません。
事業主だって、その事業をするから食べていけるのであり、事業の継続のためには企業の社員の協力が必要ですし、利用者の声も大切にしなければならないのですよ。
もちろん、人件費コスト的に採算が合わない赤字事業なら事業主は見切りをつけるでしょう。しかし、そこには市場の要求が残っているのですから、別の事業が参入してくる可能性もあるわけでしょう。それは生協という形になるかもしれませんけどね。
>【因果関係が不明な運動にエネルギーをついやするのは無駄です。】
「因果関係が不明」だから価値がないというのは思考停止であっても論理ではあり得ませんね。「因果関係がない」ことを論証しなければなりません。
>【円高の時には外国人労働者のメリットが増えるので外国人労働者をどんどん雇って利益をあげてそのゆとりの部分で日本人労働者の雇用も求めていくのが正しい路線です。】
この理屈は通りませんね、前項のワヤクチャさんの意見とも矛盾しているのです。
前項のワヤクチャさんの意見は「儲からない仕事は事業主はやらないだろう」という推定で成り立っていますが、この意見では「儲かったらその儲けは新規事業に向けられる」という意見になってます。
これこそ、獲らぬ狸の皮算用的意見です。
可能性とすれば「事業主も食うためには多少の人件費が増えても事業をする。」という可能性が高く
「儲かったら、それは企業内部留保するか、自分の懐に入れる。」という可能性が高い訳です。
まあ、これ以上の議論をしても、ワヤクチャさんの憑き物が落とせるとは思えません。
しかし、これだけは承知しておいていただきたいのですが
外国人労働者を受け入れるにしても「最低賃金を日本人が生活を構築できる賃金レベルに引き上げてから」にしなければ、最初の採用の入口の段階で「日本人は参加できない」のです。
これは、公平な競争の「場所が整っていない」ということであり、外人差別でも何でもなく、システムおよびルールの問題なのです。
その上でワヤクチャさんに考えていただきたいのは
もし仮にワヤクチャさんが就職を求めていたとして、求人に応募した人がワヤクチャさんとAさんの二人で定員が一人だったとして、Aさんはその仕事に就職できなければ「餓死しそうであり」かつ、その仕事くらいしか出来そうもない人だったとして、ワヤクチャさんは「特に無理にその仕事に就けなくても、当分こまらない貯蓄もあり、他にも出来そうな仕事の目途もある。」とします。
で、面接の審査官が言います。
「正直言って、2人の能力はほとんど差はないだろうと思いました。その上で、当社としては、今生活に困っているAさんを採用することが、Aさんを救うことだと思って、Aさんを採用することにしました。ワヤクチャさんもご理解ください。」
この時にワヤクチャさんは、この会社もしくは審査官を「恨むのが正当」だと思われるのでしょうか?
その上で、日本人の労働貧困層に手を差し伸べるのが「おかしい」と言われるのでしたら、それは「間接的な殺人と同じ」ではないでしょうか?
ワヤクチャさんが倫理性もない強弁を繰り返している今の日本において「貧困に負けて自殺している」という状況をよく考えてください。
「てっとり早く金持ちになりたい出稼ぎ労働者の自由」と「貧困層の生命」と、どちらか一方を取るとして、前者を取るのを本当に正しいと思うのでしょうか?