★阿修羅♪ > 雑談専用33 > 500.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 税金という考え方は修正資本主義に通じるといえます 投稿者 縄文ビト 日時 2008 年 10 月 13 日 07:54:46)
>縄文ビトさん どうもです。
「税金」としての用語は別にして「会費」とか「参加費」とか「互助会掛け金」でも何でも良いのですが、集団があり、その集団を巧く整理して機能させて、継続性を獲得しようと考えるのなら「税金」は必要不可欠でしょう。
自衛隊はともかくとして「警察が不要か?」と問われれば、「全ての人が聖人君主でも無い限りには必要」とするしかないでしょう。
「小さな政府」が良いか?「大きな政府」が良いのか?以前に「政府があるのなら、そこに一定の費用が発生する」のが必然ですから、税金を多く取る、少なくするという適性税制とは?という議論と「税金を無くせ」という議論は「全く別のもの」です。
縄文時代は「税金など無かったよ」とも考えられますが、例えば、狩りで獲物を捕ってきたとして、その人が全てを所有できるのではなく、その集団に「大部分を取り上げられる」という制約と引き替えに集団に帰属させてもらえるとも考えられるでしょう。
上記も「税金の一種」と言えば言えるのです。直接物納という事です。
まあ、その上で税金という意味合いから脱却するとしたら、全ては「集団所有財産」として「個人財産は認めない」というようなイメージの社会制度にするしかないのでしょうが・・・
多分、非常に住みにくい社会になると予測されます。
全ての事柄が、先に取ったもの勝ち、食ってしまった者勝ち、となり、弱肉強食のような社会になるしかないからです。なんせ誰にも所有権がないのですから、狡猾な者、力の強う者が「好き勝手をしても、それを咎める理屈がありません。」
誰の者でもない代わりに「誰が使用・消費するのも自由」でもあるからです。
これは、善人ばかりの国でなければ「成立は不可能」ですよね。
現実問題として、修正資本主義しか方法論がないのですよ。