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(回答先: マルクス主義の体制構想は=理想か破壊か?“国民に相応しい社会体制とは。 投稿者 秋吉悠加 日時 2008 年 10 月 07 日 21:38:09)
秋吉悠加さん昨日は開くのが遅かったので本日書き込みを入れます。
>従って理想の政治を実現する為に、「完成している思想」かと言えば、
欠点はまだ確実に残されている、とみるのが現実的でしょう。
現在の段階では完成されている思想はないといえます。
>今までの人間の (どの思想(党)にも一長一短がある現実です。)
完成されていないのですから長所も短所もわからないのでは?完成された社会とは人間はこのように生きるべきだという確固とした理論が無くてはならないと考えます。
>2.
OOに対しては有効であるが、▽▽に対しては効果がない。
現在の殆んどの理論(思想)が、そのような状態にあるので
「結果である現状」に対し、各々の長所を問題毎に活かし合う事で、
あらゆる問題に対し、効果の上がる政治力が発揮できるでしょう。
(どの思想(党)にも一長一短がある現実だと認識します。)
たして数で割るということではないと思います。もっと根本から人間とは何か、如何に生きるべきかという問いかけの上に立って政治・経済を考えていくことが必要だと考えます。
私はそこに階級があり、階層があり、そして経済というかたちの中で貨幣が密接に関係していたと言い切れます。
貨幣は物々交換の行われていた原始の社会の中で、人々の間で交換財として使える物が貨幣の最初の出発である。そこには貨幣とは何かという理論も無く現代社会まで使われてきたものといえます。
そこから現在の世界的な金融危機、まさに貨幣を理解していなかったまま、人間の欲望のまま貨幣を使ってきてしまった。それが機軸通貨という、いくらでも貨幣を刷れたということに尽きます。
世界中にばら撒かれた貨幣をそのままにしておけば労働の交換財である貨幣は、労働と貨幣の1対1の関係が基本にありますから、刷りすぎは労働価値を高めてしまう、つまり労働1に対し刷りすぎた分の貨幣は1.5とか2倍支払わなくてはならない。そこから考え出されたのが刷りすぎた貨幣を市中から引き上げる方法、それが国債であり、また証券化商品であると考え、調整が利くものだと愚かな人々は考えて実行してしまったのだと考えます。
貨幣は単なる交換財ですから人と人の間を回るだけであり、物を売買したとしても決して市中からその量を減少させることは無いといえます。
現在公的資金注入というかたちで刷りすぎた貨幣を市場を通し市中に戻していますが、人々は信じられるものが貨幣だと感じたとき消費という行動を抑えてしまい現金を手元に置いてしまう。結果的には貨幣を刷りすぎて溢れているにもかかわらず流動性の不足という事態になってしまっているのが現在の状況だと考えます。
この状態で一番恐ろしいことは増刷が基本にあることから、手元においていた貨幣が一気に物の交換に向うときだと考えます。つまりハイパーインフレということです。
幸か不幸か日本円は低金利政策のため海外に流れている貨幣が少なかったため(日本円に人気が無かった)刷りすぎになることが無いため逆に他の通貨に比べ現状では価値があると考えられている。そこから今の円買いが行われていると考えられます。ただ現在進行している為替差益を目的とした、行き過ぎた円買いは止められるものなら止めなくてはなりませんが。
今
の日本が取れる政策は内需拡大しかないのでは。