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今日のサンデープロジェクトで「秋葉原通り魔連続殺人事件」の分析が行われていた。
一部の2ちゃんねるスレッドでは犯人に対して「神」として称えられているとの事であるが、まあ、閉塞感に押しつぶされそうな人は「溢れるくらいにいる」のであろう。
考えてみると今の日本には「相当数の、失うものなんて何も無いよという人がいる」のだろうと思う。
櫻井よしこ氏は「憲法が諸悪の根源だから改正するべき」と主張していたが、まあ、馬鹿な思考停止の左翼が憲法の条文の尻馬に乗って「国民に権利ばかりを教え、義務というものは置き去りにした」という意味では、的外れとは言い切れないが、憲法を改正しても効果があるかは疑問である。
「犯人は、自分の始末すらも他人任せにすると言う依存体質という面もある」という分析も出されたが、日本民族の依存体質はなんとか考える必要があるとKも考えているところであり、この分析は鋭いと感じたが、多分、日本人の他人依存体質は「直らない」だろうと思う。これは「民族的に染みついた文化」という気がする。
以前、雨宮処凛氏の主張する「戦争を求める若者」について書いたことがある。
先の東京都知事選では「外山総裁」が立候補して若干話題になったりした訳であるが、このあたりの支持層は「失うものなど何も無い」という若者達であろうが、それ以外にも「全てを失った中年失業者層」とか「ワーキングプアに甘んじている若者とは言えない層」とか「退職離婚をされて、失うものが無くなった老年層」とか、「失うものが何も無い人」というのは相当数存在するような気がする。
もちろん、総人口に対する比率とすれば1割に満たないだろうが、それでも数百万人規模だとするなら、それらの人の力を結集できれば「何かが出来る」
何しろ、元々が、失うものは何も無いのだからこれほど強い存在はない。
誰かがリーダーとして「まとめることが出来るのなら」
何かはきっと出来るだろうと思う。