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将棋の名人戦の物語をやっていた。
最近は将棋もほとんど関心がなかったので、よく知らなかったのだが、最近は定跡が通用しなくなっているらしい。
名人戦においても定跡外れの手が頻繁に打たれ、昔の有名棋士には解説するのも難しくなってきてしまい、自分のことを「古典的な棋士」という人もいるという話である。
そんな話を聞いて、少し考えてみたのだが、私たちが考えている常識とか、既成概念というものは「単なる憑き物にすぎない」という気がしてきた。
「悪いことをしてはいけない。」
悪いことをすると「罰を受ける。」
しかし、今現在、「過労死寸前で頑張って働く」のと、少し手を抜いて「ワーキングプア」になって食うや食わずになるという可能性はかなり高確率だろうと思う。
そのどちらかになるのと、刑務所の中で「人権をそれなりに守られながら暮らす」のと、「どちらが幸せか?」と問われたら、おそらくだが、刑務所の中の方が「楽であり、食える分だけ幸せ」だろうという気もする。
多くの人が「生活のために仕事をしている」はずなのであるが、いつの間にか、「仕事のために生活が犠牲になっている。」
刑務所に入っている事の唯一の不幸は「自由が極度に制限されていること」であるが、1日に13時間程度働いていて、通勤に往復で2時間も掛かっている人なら、8時間の睡眠時間と考えれば「風呂入って、飯食って終わり」である。
自由時間など「制限されていないだけで、実質的には存在しない。」という事になる。
たまには休暇もあるという意見もあるだろうが、家族サービスとか様々な用事で「極度に制限されている」のではないか?
仮に、上記の考察が正しいとすれば「責任がある分、人付き合いに気を遣う分、失業不安や、将来不安を抱えている分」だけは、シャバの方が確実に不幸なのではないだろうか?
「定職を持っている人の方が、フリーターの人よりは幸福」という既成概念があるが、実際には定職に就いている人の方が「時給としての賃金は少ない」という場合もある。
将来的には「追い抜く」のは確かだろうが、そのためには「多くの責任を背負わせられ、しがらみの中で足抜けが出来なくなっていく」のである。
管理職については最近になって「名ばかり管理職」という言葉が出来、労働実態はとてつもなく厳しいという事実が公になりつつある。
アルバイトの時より給与が下がった上に「3日くらい連続労働(僅かの休憩だけでぶっ通し)」というような事例も報告されているようである。
既に一部の企業では「管理職へのなり手がいない」という状況もあるようである。
一昔前の「出世=成功」というイメージは崩れてきている。
一流企業へ就職すれば「将来安定」というようなイメージも非常にあやしい。
下手をすると、一流企業に勤めたら「過労死させられる」だけかもしれない。
少し前には「医者」は「金持ちの職業」というイメージがあった。
しかし、少なくともサラリーマン医師は、何時地雷を踏んでもおかしくないという状況下で「過労」「安給与」と言えるのだろう。
マンガ「医龍」では「ホワイトカラー」ではなく「ブルーカラー」と断定された上で「教授の息子」が「医者になる気はない」と発言する場面がある。
現実的に「歯科医」などは「商売にならない」という状況まで来ているようである。
国家破産は「出来るならしない方が良い」
誰でも、単純に考えれば「そのように思う」だろうと思う。
でも、よく考えれば「した方が良い」という思考にたどり着くのではないだろうか?
「君が代不起立」についても「よく、よく考えれば」
たぶん、今とは別の方向に方が良いとの結論にたどり着くのだろうと思う。
Kは長い間「日本が戦力を保持する必要はない」と考えてきた。
日本が「どこかの国を攻める」のには絶対に反対なので「攻撃の為の武装」は論外であり、「日本に攻めてくるような物好きな国もない」だろうから「防衛のための武装も必要なし(一定の抑止力さえあれば良い)」というのが、Kの考え方だったのであるが、たとえば、「中国」が「台湾」に武力侵攻した場合、黙ってみているだけで良いのか?と云う考え方にぶち当たった。
無論、この場合の「黙って」はあり得ない。日本は抗議はするだろう。
しかし、言葉で止まる暴力なら、最初から「暴力などはふるわれない」
不当な暴力を止めるためには、それなりの力が必要になるのだろう。
本当は「国連軍」というような「中立的な軍事力があるのが良い」のだろうが、無いものに頼っても仕方がない。
これはっかりは、日本国一国でどうこうできる物でもない。そもそも日本は常任理事国ですらないのである。
それなら、国連軍が出来るまでの経過的措置が必要だろう。
この後の結論は書く必要もないのだろう。