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(回答先: システムリセットしないと不幸は拡大する。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 6 月 14 日 14:11:52)
人間というのは動物である。
感情というものを持っているし、ストレスを感じる生物である。
同じ境遇に置いても「巧く処理できる者」もいる事は確かであるが、千差万別の行動をする「個性が別れている」のが人間なのである。
人間は機械ではないということを、まず、前提にする必要がある。
就職超氷河期と言われた時代がある。今回の犯人の世代はその時代に就職を求めることになった世代だと云える。
これは、政治と社会システムが生み出した「悲劇」でもあるのだが、この時代の就職希望者は「時代的に不利益を受けた。」のだろうと思う。
それは、社会システムが作り出した不利益であったのだから、彼らが「社会システム」を恨むのは至極当然の流れとも云える。
先日、「新・科捜研の女」でも問題提起されていたが、就職超氷河期の世代は「社会を信頼できなくならざるを得ない不利益を受け、泣き寝入りさせられた世代」なのである。
もちろん、それを乗り越えて立派にやっている人が大多数であり、行った行為は「死刑に値する行為」であり、許されるものではないし、擁護したいとも思わない。単に事件の分析において「事件の本質を分析したい」と思っていることは理解してもらいたいが、少なくとも、犯人の人間性に問題があったとしても、犯人が就職超氷河期の世代にぶち当たっていなければ「今回の事件にはならなかった」かもしれないという意味において、責任の一端に「社会システム」も決して無実ではないのだろうと思う。
犯罪の要素はあちらこちらに点在する。
大抵の場合には、その要素が単独では発動はしない。
しかし、いくつかの要素が重なり合ってしまうと「犯罪が発動する」という事になる。
このような悲劇を繰り返さないためには「社会システム」というものを根本的に見つめ直し、自己責任とは言い切れない不利益を「感じているような人たちを救済できるシステムを構築する」と言う事こそが、「最大に効果のある再発防止策」なのだろうと思っている。
個人の良心とか、人間性に依存して「二度と同様な悲劇を起こさない」などと言う「社会システムとしての責任逃れをしてはならない。」
ハッキリ言うが、今回の事件、Kを含む社会の構成員の一人一人に「就職超氷河期の不利益を受けた人に目を向けようとせず、救済できなかった。」という「責任の一端がある」のである。
犯人の人間性にも「問題があった」だろう。しかし、その責任度合いは、どれだけの割合を占めるのか?
ある意味では、犯人自身を追い詰めた加害者は「私たちの一人一人」とも云えるだろう。
被害者の方々のご冥福を祈りながら、「本当の意味での再発防止を考えていく必要性」を感じている。