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(回答先: 「現象の外に立つ」とはどういう事でしょうか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 5 月 17 日 08:55:58)
ワヤクチャさん、こんにちは。
ご質問に関し、概説程度のもので、まことに申し訳ありませんが、下記の応答に認めましたのでご笑覧いただければと考えます。
>あるいは「現象の中にいる」とは?
プラントンの説諭の中に“洞窟の比喩”というのがありますが、洞窟の中の壁面に映じる外界の影がゆらぐのを見てそれを認識の対象として云々することの無明を暗喩したものです。「現象の中にいる」とはまさにそのことを示していると謂ってもよいでしょう。
>私は自分の意識も含めて全ての現象を言語化しようという姿勢は持っているつもりです。言語化とは「意識化」であり「対象化」であると思っています。客観視と言ってもいいかも知れません。自分の意識を言語化し、更にそれを読み、更なる言語化を図ろうと思っております。
一般的に我々人間は基本的な還元プロセスにおいて記号の一種である言語を用いますが、それは逆に言語による意識化のプロセスでもあります。
>例えば「チベットの人々を中国政府の支配から開放しよう」という意識が私にはあります。これが何に基づいて生じてきたのかは考えたいと思います。与えられた情報を元に生まれた意識ですが、ではこの与えられた情報に問題が無いかどうかを考えたいと思います。
中国政府によるチベット支配の実態や経緯についてどのように確認したのでしょうか、洞窟の壁面に映じたものによってでしょうか。何らかのアジェンダを公にする場合には、大方の確認手続きは準備段階で完了しておく必要があると思います。
>チベットの人々はダライ・ラマと中国政府による二重支配を受けているのかも知れません。だとしたら二重支配からの脱却が闘争目的になるべきであり中国政府からの開放をダライ・ラマを媒介にして行う事は1人の主人から他の主人へと隷属の相手を変える事であるに過ぎない事になります。
上記の観点は重要だと思いますが、それでもやはり一つの観点に過ぎないでしょう。つまり、「現象の外に立つ」ことの基本的な要件は複数の観点を有することではないでしょうか。洞窟の中にいてはそれが不可能なことは明らかであると思います。
Auf Wiedersehen.