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まずはNHKオンラインを見ておいてほしい
http://www.nhk.or.jp/news/k10013544971000.html
【“名ばかり管理職”電話相談】
と言うことで【東京のNPOが相談窓口を設けたところ、管理職を名目に残業代がないまま長時間労働をさせられているという相談が相次いで寄せられました。】
と言うことである。
ここまで広がってくると、もう「臭いものには蓋をしろ」では済まない領域と言えるだろう。
資本家側・企業側の目論見では「出来るだけ、騒がずにやり過ごそう」と考えていると想像するが「その作戦は事実上瓦解した」と見るべきである。
ハッキリ言って「あと一息、名ばかり管理者が、勇気を持って声を上げれば」、企業論理の一角が崩れ去るという事になるだろう。
「名ばかり管理職問題」というのは一種の「企業のタブー」であり、多くの人が分かっていながら「触れられなかった部分」だったのだろうが、今、「呪いの呪文」は効果を失ったと言えるだろう。
サラリーマン管理者なんて「存在してはいけない」のであり、いわゆる雇われ管理者は「プロ奴隷に近い、洗脳された労働者」でしかないのである。
それが、「ちっぽけな責任感」に囚われてしまい「自分の不満を飲み込んでしまう」
それが、次世代、後任管理者の不利益を生み出すという悪循環に陥っている。
ハッキリ言う「(現場における)管理職だって、経営にやり方に不満があるなら、一般労働者と一緒になって、ストライキに参加するべき」なのである。
子請け、孫請け企業なら「社長も労働者と共に請け負い元企業と交渉できるべき」なのである。
それが、日本では何故か「偉い人には諂う」という風習がある。
ハッキリ言う「職種に貴賓はなく、役職というのは肩書き・役割分担状の係であり、業務上では意味を有するが、勤務拘束時間を一歩外れたら、全く意味はない」のである。
年上とか先輩後輩という部分には敬意を払う必要もあるが「肩書きは、職務の時には規律維持としての意味を持つが、私生活においては全く意味はない」と言う事である。
それは「当たり前」の事であるが「現実の社会では、そんな訳にはいかない」と多くの人が「思い込んでしまっている」
しかし、全ての思い込みは「疑って見るべき」なのである。
ここで「あなたが、自分の不満を我慢する。」と言うことは「あなたの後任者に、理不尽な椅子を残す。」という事であり、あなたは「プロ奴隷に甘んじる」と言う事を意味する。
奴隷として「この先短い人生を少しばかり長生きするのが良いのか?」
自分の不満を解消するために立ち上がり「未来の労働者(名ばかり管理職含む)」に少しでも明るい未来を残そうとするのが「良いのか?」
機は熟している「今、声を上げる事」が「労働者階級の地位向上」への道である。