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AMLに下記の投稿があった。
【 国歌斉唱 起立1人 卒業生170人 教員が指導か 門真の第三中】
金澤です。
http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya032703.htm
大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の
卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが
斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3年の担任、
副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は
事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を
聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。
第三中や式に出席した関係者によると、式は卒業生や保護者らが起立して始まり、
教頭の「開会の言葉」に続いて国歌斉唱が行われた。しかし、「国歌斉唱」と
アナウンスされたとたん、それまで起立していた生徒たちは次々と座り始め、
最終的に起立したまま斉唱したのは男子生徒1人だけだった。着席した生徒の
大半は斉唱した様子がなかったという。
式には、3年生を受け持つ担任5人、副担任6人も出席していたが、生徒たちと
同様に相次いで着席し、起立していたのは副担任2人だけだったという。
式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。
さらに教員らが生徒に不起立を命じたり促したりしなかったかどうか、担任ら
から事情を聴いている。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒
に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と
指導した」と話しているという。
後略
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keiko kanazawa
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ここまで、くれば「君が代不起立」は立派な運動として意味を持っていたと認めるしかない。
少し、「170人中1人しか起立していなかった。」という点に扇動という意味合いに流される危険性のような「逆の意味の怖さ」のようなものを感じるが、それは置いておいて賞賛に値すると思う。
一人だけ「起立していた生徒」を考えると、今後は「起立して、国歌斉唱をすることが信念の運動になっていく」のかな?というような複雑な思いもする。
しかし、まあ、日本人の本音は「君が代なんて国歌として歌いたくない」と言う事なのかもしれない。
もしも、そうであるなら、不起立運動が「ある一線を超えれば、このような、見事な逆転現象」が実際に起こっても不思議ではない。
それでも「頭の固いK」とすると、勤務時間の一環としての教師が不起立するのは若干問題ではないか?と考えている。あくまで、賃金による拘束時間内での「完全な自由」は無いというのが「論理考証」である。
しかし、生徒が不起立するのは「自由」で良いと思う。
その上で、「都条例」というような「規則」で縛るのが「アホの極地」である。
基本的に「卒業式の式典は、その場の自主性に任せれば良い」のだろうと思う。
一番、困ったのは現場の責任者(校長・教頭)だろう。
負けると分かっている「砦を死守せよ」との命令を受けたようなものだ。
その意味では「ここも、名ばかり管理職」というような事だろう。
式典というものの体裁を取り繕えば良いのなら「君が代」を差し替える事で済むのかもしれないが、その裁量権は許されていないと言うことだ、もっとも、卒業式という式典を無理に成功させるという意味も、すでに失われているのかもしれない。
Kが教師なら、生徒に対し「お前達の卒業式だから、お前達の思った通りにして良い。君が代斉唱についても、自分の信念に従って不起立したいものはして良い。しかし、私は勤務の一環なので、起立せざるを得ない。」というような事を話すと思う。
その上で、上層部には「君が代」の差し替えを強く要請する。
いずれにしても、【府教育委員会も調査に乗り出した。】というのが気に掛かる。
生徒の「不起立は自由」だろうと思う。