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(回答先: こどもの携帯電話、ゲーム所持は即刻禁止するべし。百害あって一利なし。コンビ二も夜中はしめろ。 投稿者 東京音頭 日時 2008 年 2 月 24 日 17:12:14)
最近の中高生も確かに問題ですが、その次の世代となる幼児教育現場ではさらにおぞましい地獄絵が広がっているようです。
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なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか (単行本)
藤原 智美 (著)
商品の説明
出版社 / 著者からの内容紹介
『「家をつくる」ということ』の芥川賞作家が戦慄した、
幼児に起きているこの新しい現実。
「四角い川」を描く、「ひとつ、ふたつ」も数えられない、
「三角形」が描けない、「目」をつぶれない、
そして言葉が出ずにすぐ「キレる」……
(忘れてはいけないことはただひとつ。「子どもは手をかけるほどいい子に育つというのは、幻想にすぎない」本文より
<「幼児の異変」は静かに、しかし確実に進行している>
こんな腕を描き忘れた絵が、つぎからつぎへと出てきた。
自分が跳び箱を飛ぶ瞬間を描いた子もいた。
画用紙のなかの腕のない子は、
空中浮揚でもするように、
跳び箱の上に体を斜めにして浮いている。
本文より
内容(「BOOK」データベースより)
「四角い川」を描く、「ひとつ、ふたつ」も数えられない、「三角形」が描けない、「目」をつぶれない、そして言葉が出ずにすぐ「キレる」…『「家をつくる」ということ』の芥川賞作家が戦慄した、幼児に起きているこの新しい現実。
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(著者サイトより転載)
http://www.fujiwara-t.net/works.html
2005年4月25日、祥伝社から発売。
定価1400円(消費税+70円)
忘れてはいけないことはただひとつ。
「子どもは手をかけるほどいい子に育つというのは、幻想にすぎない」
──後書きより
「幼児の異変」は静かに、しかし確実に進行している
こんな腕を描き忘れた絵が、つぎからつぎへと出てきた。自分が跳び箱を跳ぶ瞬間を描いた子もいた。画用紙のなかの腕のない子は、空中浮揚でもするように、跳び箱の上に体を斜めにして浮いている。
──本文より
総括的な育児論と育児イデオロギー批判を展開する「『子どもが生きる』ということ」につづく第二弾!
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義務教育期間中は携帯・ゲーム禁止、PCは授業に不要、コンビニ深夜営業禁止とすると、問題が改善する可能性は確かにありますが、下記著者サイトの別ページを読んでみると、困ったことにはゲーム第1世代(偏差値狂育第1世代でもある)の親からして、頭がコンビニ化している可能性が疑われることです(モンスターペアレントなどもこの流れ?)。
第1世代での解決策としてならともかく、頭脳コンビニ化も2世代目に入ると単に○○禁止だけでは問題が解決するとは言い切れないのは悩ましいところです。かと言ってこのまま放置しておけば5-10年後にはさらなる地獄絵が予見されるのは頭が痛いです。
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(こちらも上記著者サイトより転載)
http://www.fujiwara-t.net/esw006.html
「思考のショートカット」 2007.9.20
インタビューなどで一番困るのは
「で、解決策は?」
「この小説でなにがいいたかったのか?」という質問だ。
作家の中には「そういうバカな質問には答えない」と、大胆にいってしまう人もいる。
私は「そうですねえ」などといいながら、答えをなんとか練り上げてしまうのだが、後で後悔する。
たいがい、つまらない答えになるからだ。
本を書くことによって問題提示をする。
処方箋は書かない(わからない)。
そういう本も存在するのだ。
かつてはそういう本が主流だった。
いまはマニュアル全盛だから、本の主流がかわったけれど。
よって「この本には結論がない」などと批判する人がいる。
解決策=結論ではないのだが、どうもこの手の指摘をする人がネット時代になって急に増えた。
ともかく本を読んで「自分で考える」ということをしない人が増えたのだ。
その本を読めば解決策まですべて教えてくれる。
そういう本がいい本で、また、そういう姿勢で読書する。
つまり考えたくないのかもしれない。
思考するプロセスを失っている。
ひどいのはタイトルだけで判断して、批判してしまうことだ。
たまにいる。中身をまったく読んでいないにもかかわらず批判してくるのだから、かなわない。
もっともこういうのは読者だけでなく批評家にもいる。
数年前、ある新聞書評で拙著を批評した著名な医師は、あきらかに誤読、小見出しだけで判断し原稿を書き、内容とは違う批判を展開していた。
思考のショートカットはいたるところに蔓延している
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いじめをしあう子供達には、思いやりとか、公共心とか けじめとか、そういう発想が大いにかけている と見えます。
あの子たちは、個人主義のなか、自分さえよければいい、という親のもと、欲しいものは右から与えられ、幼児期にもっとも大切なしつけである、がまん の心がまるで育っていない。屋外で集団でルールを自ら作って遊ぶ時間も少なく、自分達で娯楽は作るもの、という発想も育たず、工夫する知恵も育たず、大人がすべて作り上げた物の中で、生きているのです。
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これは今日の公立中学に限った話ではなく、私がかつて在籍していた男ばかりのお下劣糞「支配階級養成学校」でも日常的に見られた光景ですが、こちらも第1世代が親と化して、問題がより複雑化しているように思えます。