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(回答先: 当為と存在認識の混同というのは一般的な傾向で、しかも、指摘されても分からない人が多い。 投稿者 tk 日時 2008 年 2 月 23 日 21:52:40)
>tkさん どうもです。
まず、この議論は「奥谷氏」の発言への評価と言う事です。
>【まじめなものが馬鹿を見なかった社会が、過去あったのでしょうか?】
が「事実かどうか」と言う事ではありませんね。
Kは「この意見は意味がない」と主張していますが
「まじめなものが馬鹿を見なかった社会」が「過去にあってもなくても」
未来における社会では「まじめなものが馬鹿を見ない社会」を目指すのが当然だろうと思ったからです。
また、この意見(まじめなものが〜)は「事実の確認ではなく、イメージとしての誘導の要素が強い」だろうと思いますよ。
>【「事実Bは常に存在する」という《事実》に関する主張です。】
違うでしょう。「まじめなものが馬鹿を見る」という事は「量的に減少は可能でしょう」
そして、それは「過去に、そのような社会があったか?ないか?」とは無関係でしょう。(参考材料にはなります)
ですから、この時点で【《事実》の主張に対して《事実》の主張で反論しています。それがまっとうです。】という評価が不適当でしょう。
良いですか?「撲滅が不可能だから、放置しても良い」と言う事にはならず、過去は(現在も)、未来とは「時間的に別の存在」でしょう。「過去によって、未来を決定する決定打にはならないので、そこを議論しても意味はない」と主張しているのでしょう。
議論の中心点が【まじめなものが馬鹿を見なかった社会が、過去あったのでしょうか?】であるならば、【「承認する(当為)」と「認識する(存在)」の両方の意味が含まれている。英語のjustでも日本語の「ただしい」でも、倫理的に正しい(当為)の意味と、存在認識として正しい(存在)の両方の意味で使われている。そのような言語体系上の混同】させて、誤魔化そうとしているという見方でも良いのかもしれませんが、Kは【過去】を問題にしても仕方がないと切り捨てているだけでしょう。
ですから【事実認定から、当為論、そして可能性へ】ではなく【事実認定】をするまでもないと主張しているだけでしょう。
まあ、他人の評価に「これ以上、文句を言っても仕方がない」ので、ここまでにしますが、流れを良く読んで「意味を理解して下さい」と思っています。