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(回答先: 高村薫さんと考える:最終回のテーマ 若者と活字文化(その1)(毎日新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 3 月 16 日 16:42:27)
http://mainichi.jp/select/opinion/takamura/news/20080316ddn010070048000c.html
<with 藤原健・編集局長>
<右面からつづく>
◇新聞で世界像つかめ
高村 世の中には「知的」という言葉に抵抗感を示す人もいますが、「世界の中で自分を位置づける」という作業は最も合理的な生存戦略だと思うのです。世界を、時代をとらえて生き延びることを考えるということ。だから、それができないなら人類は滅ぶと言っているんです。
藤原 「難しくて、できそうにない」という若者には。
高村 とりあえず新聞を読みましょうと言います。いきなり専門書なんて私だって読めません。目の前で起きていることを大半の人はテレビで把握していますが、何年何月何日には世の中で何が起きたかを網羅的に書いてある新聞の方が、同時代の世界像をつかみやすい。私にとっては、新聞を読んで学校に行く、というのは中学校のころからの習慣でした。
◇映像だけでだまされるな
藤原 一方で、テレビによるイメージが与える影響は大きい。
高村 先ほど生存戦略と言いましたが、それには「だまされない」という意味も含みます。為政者にだまされない。詐欺師にだまされない。怪しいと見抜くには、相手の言っていることを自分の世界像の中に置いてみることです。その時に「おかしい」と思えばだまされない。人間、生きていくには「見抜く」ということが大事。しかし、テレビの映像だけでは、見栄えとかパフォーマンスでコロッとだまされる恐れがあります。
藤原 活字を通じて事実をつかむということですね。
高村 活字に親しむということは、自分探しをするのではありません。むしろ逆で自分を客観化するということだと思います。世界の、日本の、大阪の中の私を知る。徹底して客観化、相対化する作業です。
藤原 世界像という観点から、米大統領選の民主党の候補者選びを見てみましょうか。どんな感想を抱かれますか。
高村 あの熱狂は米国の若さ、エネルギーでもありますが、一方で「米国の米国による米国のための民主主義」という、ある種の幻想への熱狂でもあります。過熱ぶりを見ると、米国とは何かと考えさせられる。知的相対化というものが埋もれてはいないか。複雑な思いで見ています。
藤原 米国は、自らを相対化するのが得意でない国ですね。
高村 欧州的成熟とは距離がありますね。イラク戦争などを見ていると、いろいろな価値観と折り合える知性は出てきそうにない国かとも思います。
藤原 日本の対米関係もその点を踏まえた接し方があるはずです。世界像の中で米国を位置づける作業が必要です。先ほど欧州的成熟というお話が出ましたが、日本はどうでしょうか。
高村 江戸時代から活字文化に触れる度合いは世界に冠たるものがあります。文学のレベルも高い。明治時代には世界の文学を取り入れ、翻訳し、100年以上たっても読み継がれている(注3)。こんな国は世界でも珍しい。さらに、世界でも非常に難しい言語である日本語を使いこなしている。日本人の知的基礎体力は日本語そのものにあると言ってもいい。文化的成熟という点では、日本は分厚い地盤があるんです。若い人は、日本人が持っているこの能力を減らさないでほしい。あとは、国家として政治の成熟があれば、日本は生き延びていける。
藤原 今なら、まだ間に合いますか。
高村 いえ、怪しくなっています。言葉を情報のツールとしか思っていない風潮が広がっています。ツールなら信号と同じ。言葉とは形になっていないものを形にする。世界像を形にするために言葉がある、ということを強く訴えたい。
藤原 私もそれを自戒したいと思います。大学にも若い人に伝えなければ、という危機感を抱いてほしいものです。もう一つ、私が危機感を抱いているのはプライバシー保護という風潮を利用して、情報を隠す傾向が強まっていることです。もちろん、記者が頑張らないといけないんですが、例えば最近広がる匿名化などは、事実から一歩離れることを意味する。
高村 それは読者からみると、新聞に知りたいことが書いていないことを意味します。くしの歯が欠けたような世界像しか作れないことになります。そもそも「書くべき事が書かれていない、おかしい」と感じるには、まずは新聞を読まないといけない。
藤原 新聞に大きなエールをいただきました。高村さんは一貫して「物事を読み解く力がないと未来は開けない」と、いわば「知の自立」を言い続けられました。新聞を支持してくださるありがたい読者です。
高村 それをしないと生き残れない世の中です。為政者にとって都合のよい大衆になってはいけない。若い人にそれを言いたい。
◇自分の言葉を持とう
「高村薫さんと考える」のねらいは、「ニュースを読み切る」ことだった。
社会で起きていることの背景を考える際のきっかけとして、この対談で示された高村さんの視点を参考にしたい。それは、ネットの急速な進展で大きく変わりつつある人間関係から、激動を続ける世界、指針の見えにくくなった日本の行方までを読み解く回路を見つけることにつながるはずだ……。
活字の空間に独自の世界観をつくりあげることに全エネルギーを注ぎ込んでいる当代一流の作家の目は、さすがに鋭かった。そして、1年半、18回に及んだ対談で一貫していたのは「この世界で起きているさまざまな事象を、自分できちんと説明できる言葉を持とう」というメッセージだった。だから、「言葉とは、情報を単に伝達するだけのツール(道具)ではない」ことに、踏み込んでいく。「自らの世界像を形にするために言葉がある」からだ。
高村さんの論理を紹介したもう一つの目的は、ネット情報に振り回されかねない新たな状況の中で、新聞の果たすべき役割を改めて読者の皆さんと共に考えたかったからだ。若い世代を中心に活字離れが進む社会の姿はどうなるか、との問題意識もあった。
高村さんは少女時代、当時戦火の中にあったベトナムでの戦争の意味を知りたくて懸命に新聞を読んだという。「同じ地球に生きている自分とどうかかわっているのか」。今、こうした発想ができにくい世代が確実に目にすることができ、関心が持続するようにするための工夫が新聞に求められていることを改めて痛切に感じる。多くの矛盾を今の新聞が抱えていることを十分に認識したうえで、それでも言いたいのは、今日の見出しになっている「新聞で世界像をつかんでほしい」ということだ。
高村さんは「もう、間に合わないのでは」と言い切った。その直感を、危機感を持って謙虚に受け止めることから、この時代を皆さんと共に考え抜いていきたい。
◆
高村さんとの対談は今回が最後です。感想を寄せていただいた多くの読者の皆さんに、この場を借りて感謝します。高村さんには今後も別の形で、さまざまな提言をいただくことにしています。ご愛読、ありがとうございました。【藤原健】
毎日新聞 2008年3月16日 大阪朝刊
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