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(回答先: Re: 金融工学と経済学の違い <-- 補足:計算不可能性について 投稿者 健奘 日時 2008 年 10 月 06 日 16:37:16)
経済学をめぐる巨匠たち
まえがき
経済学は不思議な学問である。
他の学問に比べ、対象となる範囲が酷く限られている。心理学であれば、人間ばかりでなく、鼠も研究の対象にする。社会学には猿を扱うものまである。法律学だったら古代ローマ法も研究するし、政治学なら古代ギリシアの政治哲学も研究対象になる。
しかし、経済学の扱う対象は唯一つ「近代資本主義」だけである。
経済学は、近代資本主義より前の中世封建社会や原始共産制を扱う事があるではないか、若しくは社会主義経済も研究するではないか、と思う人もいるだろう。確かに、近代資本主義より前の経済を研究する経済史はあるが、これは言わば歴史の範疇である。
日本の大学には歴史学部がないので、文学部史学科で扱わない部分を経済学部が受け持つ事になる。だから、ここで言う経済学の範囲には本来含まれない。
又、社会主義の経済はどうか。これこそ正に近代資本主義の経済学である。
旧ソ連(ロシア)の経済学者が研究していたのは近代資本主義経済を分析するための経済学であった。たとえ、社会主義国家を研究したとしても、その手法は近代資本主義の経済学に他ならなかった。
この近代資本主義は、歴史的に見て極めて特殊な制度である。近代資本主義ができて僅か百数十年で、それまでに世界中で作り出した水準を遥かに超える富を作り出した。
経済学とは、これほど凄い事象を研究する学問である。
こうした経済学の基本となる思想は何かと言えば、英国古典派事(the classical school)が唱えた「レッセ・フェール(自由放任)」だ。この思想は、マルクスやケインズ等から度々批判を受けたが、今も生きている。天動説が地動説に依って駆逐されたように、多くの学問では、新しい説が登場すると、古い説は捨て去られて了(しま)う。だが、経済学に限っては、何度も何度も蘇る思想を持っている。経済学は扱う対象だけでなく、それを支える思想も驚くべきものなのだ。
又、経済学者というのも特殊な存在である。抑(そもそも)、経済学の父アダム・.スミスは倫理学の先生、リカードは株屋、マルサスは牧師、ミルは東インド会社の書記、マルクスに至ってはルンペンであった。経済学者という職業が登場したのは最近の事で、世界で最初の経済学者はマーシャルである。
日本の状況を見ても面白い。以前、経済学の入門書で話題になった本がある。一つは予備校の先生が書いた物。もう一つは経済担当大臣であり経済学者と称する人が書いた物。両方を比較して観た時・前者の方が遙かに良い。予備校の先生は執筆の理由として、日本の経済危機を救うためだと書いた。経済担当大臣の本には、そんな事は書かれていない。何のための学問なのか、分かっていないのだ。だから、予備校の先生の方が大臣や経済学者と称する人々よりもはるすく遥かに優れている。
経済学も経済学者も真に奇妙なものである。
これから、この経済学という不思議な学問の世界を読者の皆さんと共に探求して行きたいと思う。
平成一五年色取月 小室直樹
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以上は小室直樹著「経済学をめぐる巨匠たち」まえがきですが、経済学ほど不完全な学問は無いと思っております。不完全な学問では心理学とどっこいかもしれません。
なぜ不完全かというと、どちらも人間の心を扱う学問だからと思っております。
経済学とは人間の心理を高等数学で理解しようという論理経済学等数学である側面は否定できません。しかしながら、人間の心理は数式では表せません。ここに経済学の不完全性と、金融工学の大穴があるのだろうと思います。