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(回答先: 今日のような低金利時代、何か利殖法のコツといったようなものはないでしょうか… 。 【中外商業新報】 投稿者 hou 日時 2008 年 4 月 24 日 23:51:36)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00755240&TYPE=HTML_FILE&POS=1
新聞記事文庫 銀行(28-148)
大阪朝日新聞 1936.3.20(昭和11)
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日銀総裁の更迭説
財界六感
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日銀総裁の更迭説が最近頻りに取沙汰されている。
深井総裁は、一月開催の金融懇談会席上で「現在以上低金利政策を強行する意思なし」と言明し、昨年来とかくボカされ勝ちであったわが金利政策の動向に、とに角低金利棚上げの指針を示すに至ったので、それを基調とする財界今後の動きが予見されていたのに不思議はない。
要するに総裁のこの声明は、産業家の立場からすれば、金利は低いほど結構なのだが、現在のわが産業活動はこれ以上の低金利の刺激がなければ忽ち停頓するという状態にあるわけではなく、またこれ以上の低金利が果してどれだけ採算を有利化するかその見通しがつかぬのであるから、国民の貯蓄心を阻害して資金の蓄積を鈍化させ、しかも投機煽揚の弊害を伴うこれ以上の低金利促進には賛成出来ぬというにあったのである。
しかし低金利政策続行可否の論は、帰するところ、今日のわが経済界の実情が、主として金融資本を保護すべきか、それとも産業資本に保護の重点をおくべきかの判断によって決せらるべき事柄で、馬場新蔵相が低金利政策続行の方針を声明したからとて、別に驚くには当らぬことである。
ただここに問題となるのは、新蔵相と肝腎の金利問題について意見を異にする日銀総裁としての深井氏の立場である。或は日銀の首脳者も案外変通性に富んでいるから
馬場財政の世になれば、またそれ相応に調子を合せて行くだろうと見る向きもあるようだが、私は、中央銀行たる日銀本来の使命からして、従来ややもすれば日銀が大蔵省の外局であり、出張所であるかの如き観を呈し、殆ど大蔵省の命令次第で動いていたという事実に、根本的な疑問をもつもので、もしこの関係を極端な場合まで押進めれば、日本銀行が政党の私有金庫にしか過ぎないような事態の発生をも想像し得る。少くともこの関係は官僚系統における上司と下僚とのそれの如くであるべきはずのものでなく、また左様あってはならぬのである。
蔵相と総裁との意見合致は最も望ましいことではあるが、しかしそれは命令と服従との関係においてであることを欲しない。意見に軒輊あらば論議を尽してこそ「民意を察する」ことにもなるはずである、意見の一致はその上のことでなければならぬ。私をしていわしむれば、この際深井総裁は自ら去りたければ去るがよし、去りたくなくば最後まで去らざるもまた可である。
その点になると、過般の次官以下大蔵省局課長の大異動の如きは大いにその趣を異にしている。如何なる政策方針のもとに、今日まで彼らが仕事をしておろうとも、それはただ事務官としての当然の職責を尽したまでのことであり、内閣が代り蔵相が代れば、彼らはまた命令次第でどちらの方向へでも向き直して事務に鞅掌すべき立場にある人達である。高橋財政がいけないから事務官までいけないという理窟は立たぬ。政務官でもない次官以下の局課長を根こそぎ取替えるというが如きは「事を進むるに躁急」の嫌いなきや。財界に対しても、馬場蔵相のやり口は少しく嚇かしに過ぎる感なきにあらざるを惜む。
(六灘子)