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サントリーの缶コーヒーBOSSレインボーマウンテン
http://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/
「この惑星の住人は、主役と脇役に分けられている。言うまでもなく、大多数が脇役だ」というジョーンズの言葉でCMの場面設定を説明している。
ジョーンズは当然斬られ役であるが、斬られた後でもカメラに向かっての過剰な演技をしてしまい。監督から「カット!」。ついには、撮影から外されてしまう。
そして、「この惑星では、空気が読めないと、まずい」と報告。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00764247&TYPE=HTML_FILE&POS=1
新聞記事文庫 郵便為替貯金(4-031)
大阪時事新報 1939.6.15-1939.6.16(昭和14)
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「百億貯蓄」の意義 (上・下)
きょうの問題
森崎生
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(上) 国民総力戦の凱歌昂げよ
今十五日から向う一週間を「国民貯蓄週間」とし、銃後を挙げて聖戦完遂に協力することとなった。まさにこの「一銭」を以って銃前、銃後は混然、一体と化し、真の国家を総力戦たるの緊張と意気込みを振起せねばならないのである。しかも、その目標は百億円に置かれ国民は余程の覚悟と決意が必要であることは申すまでもない。
前回、八十億貯蓄の実績は遺憾乍ら七十三億八千万円と所期の成果を挙げ得なかったとは言え、公債消化の旺盛はよく国民の時局適従を反映して実質的成果を収めたものと言わねばならぬ。今回は二十億円を増加して百億円を期成の目標としたのである。銃後国民に一段的緊張が要求せられる所以である即ち八十億円から百億円には増加率は二十五%で前回百円を貯蓄した人は百二十五円、一千円の者は一千二百五十円の貯蓄実践によってその目的を達し得るわけで、既にこの国策に呼応した金融機関は各階層を通じて宣伝に、取扱時間の延長に大童である。しかも各機関はそれぞれの実績に基き生保は五十億、銀行五十億、信託は二十億円と預金、契約収集の標準に向って驀進の態勢を整えており、百億の金字塔を「国民総力の結晶」として打樹てる用意は今や全く整備されたのだ
御稜威の下、戦線の将士は幾多の苦艱と闘いつつ転戦連勝、東亜の天地を席捲して武威愈々昂く、新秩序建設の聖業は日に夕に着々として進められているに拘らず、銃後の緊張がこれに伴わぬ憾みは消費部門においてその甚だしきが認められた。此処にその例証を挙げて心ある銃後の人を再び顰跫せしむるに忍びぬが事実銃後の緊張感に遺憾のあったことは争えない。国民精神総動員運動を初め各種の非常時対策が国民の最高指導方針として取上げられ実際に訓練され、或はされつつあるが、この成果如何を検索する尺度は一つにこの貯蓄の実践であり、よく百億の目標を達成し得るや否やにかかっているのである。
換言すれば、世界諸国の環視の裏に、政府も、官僚も、国民もその緊張感如何を「百億貯蓄」に依って「日本」の現実の強靭さを誇示せねばならぬ重大なる機会に直面しつつあるのだ、「百億円の完成」こそ、無敵日本の完成であり、無言の国民外交の凱歌でもある。戦線の将士が朝に一城を抜き、夕に一城を陥して東亜の天地を響けと万歳を絶叫するあの感激を、銃後国民も、この「百億完成」においてシミジミと味得し得る光栄を持たねばならぬ。しからば何故に貯蓄の目標が百億円と決定せられたのであるか
周知の如く昭和十四年度の予算は一般会計、臨時軍事費追加予算を併せて八十八億七千万円であって、このうち公債発行により支弁する総額は約六十億円、この外日、満、支を通ずる生産力拡充のための所要見込資金は四十億円の多額に上っているのであるから各種金融機関に集積する貯蓄額及び公社債に対する直接投資額を併せて、是非とも百億円の金を必要とするのである、一ヶ年に百億円といえば毎月平均八億三千三百万円、毎日平均二千七百万円の巨額の貯蓄を実行せねば、その目的を達成し得ない勘定だ、以って国民の重大なる決心を必要とされる所以である、しかるに百億貯蓄はそれ自体の目的使命に止まらず、この実践によって不当なる消費を節減し、物価の昂騰を抑制する重大意義が含まれており、ここ五年、十年の戦闘にも軍調弁を不円滑たらしめない資源、資材の保善確保までが配意されているのである、しかも一方国際収支の維持、改善が、国民の消費節約に負うところ甚大であることは繰返すまでもなく従って国民生活の徹底的改変が高唱せられ日常の無駄冗習を廃して、苟くも、資材を損じ資源を濫消するが如きことがあってはならぬのである。
これを卑近の一物、一品に見ても、戦時資材としての重要性と共に、それに加えられた幾人、幾十人の労力を稽へなければ不可ない。人的資源、殊に労力不足の折柄、この不足、飢饉を更に加重せしむるが如きは実に時局を弁えぬ非国民的態度と極論されるも至し方はないのである(つづく)