★阿修羅♪ > 議論28 > 316.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 私企業に対して公的資金を投入して救うのは市場経済の限界の露呈ではないのか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 9 月 18 日 22:22:17)
>ワヤクチャさん どうもです。
先日、たまたま、この解答を、ある人から聞いてきましたので、お伝えしておきましょう。
わざわざ、このように前置きしたのは、これは、Kの発想ではなく、その人の発想という意味であり、Kは「納得して同意しています。」ので、文責はKに有ります。決して、文責逃れをする気はありますが、解説には限界もあります。
「私的企業に対して、公的資金を投入するのはおかしい」というのは当然の意見です。
市場経済においては「悪い企業は淘汰される原理によって、より良い企業が生き残っていく」という考え方が導入されています。ここは「利益を生み出す競争力」が必要になります。
しかし、企業には「公益性」という部分もあり、それも「考慮する必要がある」のです。
つまりは「その企業が倒産すると困る」という人の事も考える必要があるという部分ですが、基本的には従業員は含まれません。この辺は、失業にはある程度の対策がなされているからです。
この場合の被害者は基本的に利用者です。ですから、遊技場とか単純な営利企業ならば「単純に倒産させる」のが一般的です。
しかし、企業の規模が大きいもので、連鎖倒産等も予想されるのなら、その事を総合的に判断するということにもありますが、基本的には「費用対効果」という、どうすれば一番税金を使わなくて済むか?が判断材料となります。
しかし、それだけでもありません。利益率が低い「半分公共企業」という場合もあります。そのような企業は「淘汰」ではなく「競争相手がいないのに利用者がいない」ので、赤字倒産となります。その場合は、国として「潰せない」と税金の費用対効果を超えて救済する事にもなります。
今回は、上記の内では上方の方に位置しますが、更に、別の事も考慮されました。
それは、困る利用者が「庶民か?資産家か?」という部分です。
利用者が資産家ばかりならば、利用した資産家の自己責任という部分もありますし、少々のリスクは自分で吸収出来るのですが、利用者の多くが一般庶民だと、生活に支障が出る人が大量発生する可能性もあるわけです。
更に、その企業が「利用者に愛されているのか?」という部分もあります。
利用者に優しく、従業員に良い雇用を提供しているか?という部分も見られるという部分ですが、多くの庶民が「あの企業は良い企業だから、救済して」と言うならば「そこは配意される」ということです。
その一方で「あの企業が倒産すると、私は損をする」という資産家の意見は今回の例では無視をされたのも「アメリカの経済の苦しさ」のあらわれでもありますが、庶民の「なけなしのお金を掛けていた保険」には配意したというところです。
簡単に言うと「アメリカの経済力では2社を救うのは厳しいので、ホワイト企業に近く、庶民の生活に影響の出る方の企業だけを救済した」という事のでしょう。
資本至上主義の方向から、社会主義的な生活を考えた政策にバランスを戻したという事ですね。