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(回答先: 川と筏と乗っている物 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 24 日 20:25:31)
>松浦さん どうもお疲れ様でした。
実は、先日の【誤りですが、そこまでしなくてよいのです。 松浦】を読んで、消去法的に、松浦さんの主張したいのは「マクロ視点での運命学」のようなものしかないな。と思っていました。
で、今日の書き込みですが、Kはあまりウンチクめいた事は書きたくないのですが、松浦さんの書いているようなことは「SF」の分野では結構取り上げられて、研究され、ある意味では語り尽くされているとも言えるくらいです。
タイムマシンパラドックスの一つに「歴史は変えられない」というようなものもありますが、不確定性原理を運命学に取り入れるような事も考えられています。
因果律を詰めていくと量子力学になり、固有関数からオブザーバブル(物理量)などを経て、全ては「あらかじめ定められている(=運命は決まっている)し、数式にも書き表せる」とも考えられますが、これは「シュレーディンガーの猫」の障害でパラドックスに陥ってしまっています。
基本的には松浦さんの主張は仮説なのです。
もっとも、仮説と言っても「かなり可能性は高く、人類が意識して、総体として変えようとしない限りは達するであろう。」というような結末かもしれませんが、それでも、実際に、そこに達するまでは仮説であり、不確定な未来の予想でしかないと言う事です。
川を下る筏の上で何をしても無駄というのは一見正しくても、全てが正しいとは言い切れません。「川の流れ」というものに気付き、それに干渉すれば、単に下っていくだけではないようにもできるでしょう。
確かに天才アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言いましたが、それも仮説であり、偶然も不確定要素もあるとKは考えています。