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それでも人は生きていこうとするのでしょう。
http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/178.html
投稿者 考察者K 日時 2008 年 6 月 21 日 18:23:09: JjkI8nWTpj0po
 

(回答先: 一般物象論 超概略 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 21 日 12:54:37)

>松浦さん どうもです。

とりあえず、全ての存在は「今存在するという地点から非可逆性を持ちながら終焉に向かって進んでいる」と言う事は真理であり摂理でしょう。
歴史もその例外ではなく、人類史においても、地球史という意味においても、いずれは終焉を迎えるでしょう。これは、物理学的に言って「間違いようもない事実」と考えられます。

しかし、それでも「人は生きていこうとする」のです。
現実的に松浦さんもKも「ここまで生きてきて、今も生きている」のでしょう。
これも、また真実です。

確かに、終焉以後になってしまえば、全ては幻であり、無であった。との見方は可能です。
もっとも、その時には「評価者」も存在していないでしょうから、そのような「見方が可能」という言葉に意味があるかは疑問でもあります。

>【具体的には、人が人を所有し生態系には存在しない余剰が発生した時。この時、個物・因果律・一次元線形時間・経済・権力・階級が生まれ歴史が始まる。そして、全ての人間が相互所有の関係に置かれる時、すなわち全ての事象が市場の商品として現れる時、歴史は終わる。】

ここが理解できません。
確かに
>【歴史総体とは、物象化の不可逆過程である。物象化の不可逆的プロセスは始まりと終わりが最初から明確に設定されている。】
という意見は「真理を語ってはいる」のでしょうが、人間の「今現在の英知」では終焉を見通すことは出来ていないと考えます。

例えば、DNAを分析するゲノム解析においても、現在の英知は「その人の人生の全てを知るところには達していない」という現実があるでしょう。

その様な意味から言って「終焉の場面」は未だに不透明であると主張させていただきます。

>【一番重要なのが、この第三法則、消滅法則。これが意味するところは、物象化現象は宇宙が消滅していくプロセスだということ。事実は何も生まれていない、唯、消滅しているに過ぎない。歴史は宇宙が消滅している不可逆のプロセス以外の何ものでもない。何かが生まれている様に見えても、厳格には、前の事象の引き算だけで全てが構成できる。付加史ではなく、減算史なので恣意性が入る余地がない。】

これを庶民的に表現するなら「人生は死ぬまでの間の暇つぶし」となるのでしょうが、生者必滅という真理を持って、今この場で「死ぬのが妥当」と主張するなら詭弁の域となるのかもしれません。
仮に「暇つぶし」であっても「楽しい暇つぶし」である方が良く、多くの人はそれを望むのでしょう。

>【一般物象論は決して特殊な理論ではなく、古代古典の精神を厳格な学問として精錬したものです。特にその中心の存在論形式の物象原則は、グレコ・ローマンの文化伝統の中で唯一、至上の人格を意味する立法者(ルソーの一般意思の体現者)とされたパルメニデスの認識と同一です。それは、アリストテレスも含め彼以降理解されることのなかったゼノンのテーゼそのものなのです。】

ゼノンのパラドックスが「理解されなかった」のは、それが理屈だけから構成され、現実の世界では「アキレスは亀を追い抜くことが出来た」という意味で「間違っていた」からでしょう。
実際には、ゼノンは「特定の要素を無視することで詭弁を弄していた」と言う事です。
アキレスと亀の例では「時間」という概念を無視していることが既に指摘されています。
端的に言えば「ゼノンは言葉遊びをしていた。」ということです。

>【手を、胸に当てて考えてみれば分かること。我々は、歴史と言う暴力が自然から延々と何もかも奪い尽くした後に生まれた、文字通りのロスト・ワールドの最後の世代なのです。】

悟りすぎているようです。
それは、視点を固定した、立ち位置から見た「その角度から見える世界」でしょう。
別の角度から見たならば「別の世界を見ることが出来る」でしょう。

以前、松浦さんは
>【政治の主体は国民であり、政治家の責任は限定的。 松浦】
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/398.html

という意見を書いています。
見事な見識であり、Kは非常に感心しました。
この時点では、松浦さんは「半分あきらめながらも、まだ、警鐘を鳴らす」という作業を行っていました。

しかし、今日の松浦さんは「社会を変えても仕方がない」という思考をされているようです。

確かに「全ては虚しき努力」であり、実際には消滅へと向かう道程かもしれません。
でも、人間は死ぬまでは生きる努力をする生物です。

と、書いてきたわけですが、ラスト部分に
>【それならなぜ、一般物象論が永遠の世界の始まりなのか。それは、人が初めて歴史を超えることを可能にし、歴史総体の全てを平然と掌に乗せることを可能にするから。
そして同時に、全ての正当性を、歴史から完膚なきまでに剥奪し、全ての価値を宇宙に取り戻すから。そして、自然、宇宙存在こそが「何もないこと」の対極、すなわち、全てが存在する原点であることを教えるからです。それが、小さな人の世界のことに過ぎないとしても、全一なる宇宙は等しく求めている。】

と書いてもある。
多分これは「真の賢人」による「神への到達」を目指そうという意味なのでしょうねぇ〜

解釈の間違いはあるかもしれません。
文章で、他人に真意を使えることは容易ではありません。


 

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