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(回答先: こんな国に生まれたことを、のろいつつ長じたバナナ学者 投稿者 仁王像 日時 2008 年 6 月 06 日 21:52:24)
・[332] ○○君とのやりとりの文を載せます。私の「ヨーロッパの近代と、近代思想について」論です。 投稿者:副島隆彦 :2006/09/02(Sat)
http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=sample1&mode=find&word=332%A1%A1%B1%A7%BA%AC&cond=AND&view=10
副島「日本は、東アジア文明のはずれの国ですから、まだ部分的にしかこの近代(モダン)に入っていません。まだまだプレモダン(前近代)であり、前近代とは、近代の一部ではなくて、古代(アンシャント ancient ) です。中世(ちゅうせい、the middle age ザ・ミドル・エイジ)という段階を世界基準の歴史学で認めるなら、この中世の方に所属します。
ですから日本(人)はまだ近代(人)ではありません。このことを世界基準の学問では自明のこととします。この判定に日本国内からいくら反発してみどうにもならない。これは冷酷な世界基準(ワールド・ヴァリューズ world values 世界普遍価値)からの判定、断定であって、この考えに日本人が異論を唱えても無駄です。自分の友人の欧米人にこのことを、しつこく一人ひとりが確認すべきです。
ひとつは、日本は、東アジア(黄河、揚子江)文明の一部であって、その東のはずれであり、日本語という混合言語(雑種言語)で、考える(書く)しかない、という初源からの劣性を持っているからです。
この私の言い切り(言い方)に、多くの人がどのように反発しても、どうにもならない。日本人には、仏陀(釈迦、ゴータマ)や、孔子や、キリストなどのような、極限まで厳しく突き詰められた言葉を吐く(語る)ことの出来る人間は存在できなかったのです。それは、日本は文明の周辺属国だからです。私たちは、この運命から逃れることは出来ない。このことは、劣等感の表明ではありません。冷酷な学問(サイエンス)による断定です。
私は、東アジアの土人である日本人の、自然(何も考えない=哲学をしない、真理など突き詰めない)に戻ってしまった人間です。こんな国に生まれた以上、どうにもならないのだ、という大きな諦めが、若い頃からありました」。
〔臭うぞう〜〕
今読むと、こちらのほうが気恥ずかしくなってくる。
バナナ学者は、いたるところで「どうにもならない」と繰り返す。この「どうにもならない」とは、敗北思想の別表現に他ならない、と今でははっきり断言できる。上で明らかなように思想を測るモノサシを何の疑問もなく欧米人においている。欧米人をモノサシにすれば、今のところ、彼らが「ウン」というわけがなかろう。
東洋思想が押し返していくのは、21世紀のこれからである。バナナ学者の衒学に若い世代がたぶらかされてはならない。
「日本人には…極限まで厳しく突き詰められた言葉を吐く(語る)ことの出来る人間は存在できなかった」と、ここでも日本語の劣等性に言及させる内的衝動は、必敗の敗北主義から発しているとしか考えられない。その敗北主義に高級そうな装いを凝らす。冷酷な学問(サイエンス)による断定などと言ってのけるが、経済学以外の社会科学の学問の理論的完成度などはないに等しいのだ。イデオロギーとしてそれなりの完成度を持っているに過ぎなかろう。
下の清水氏の主張は、バナナ学者の言論に真正面から対立している。比べられよ。清水氏は、20世紀は「白禍」の世紀であったと総括しておられる。
(本稿が副島隆彦氏を単に個人攻撃するものでないことは、賢明な読者は十分お分かりだろう。若い世代が曲学阿「西」(清水氏造語)の言論人にたぶらかされてはいけない)。
【補足】「白人(グローバル)スタンダードという新たなる侵」から抜粋つづき
〈日本人が西洋の正体を見誤ってきた理由〉
・地球陸地のわずか3%を占めるにすぎないヨーロッパの白人が、僅々2〜300年の間に、地球の4/5の土地と民族を植民地化し、世界制覇ができたのはなぜか。
われわれ日本人は、長い間の西洋コンプレックスから、西洋礼賛一辺倒で、世界史とは西洋中心に展開するものと錯覚させられてしまっていた。明治以来今日に至るまで日本の歴史学者や文化人たちは、西洋を文明の先生と考えても、その背後に潜む醜い暗部、裏面史を見ようともしなかった。それはなぜか。その原因を、戦前と戦後の二つの時期に分けて考える。
明治20年に帝国大学が招いたお雇い外国人教師ルードヴィッヒ・リース、彼の講義が日本における近代歴史学の誕生だったのである。彼は近代歴史学の父といわれたランケの高弟だが、そのランケは世界史講義の中でアジアを蔑視し、アジア野蛮論を説き、西洋優位支配の正当性を述べている。西洋は善であり父であるという西洋から見た世界史の伝統が、帝大のリース教授を通して現代の教室にまで尾を引いている…。
〈戦後の占政策に追従した売国的言論人たち〉
・大東亜戦争は三年半で終わったが、連合軍の追撃戦ともいうべき占領期間は、その2倍の7年にもわたった。米国は軍事力による力の侵略につづいて、今度は精神や文化の侵略に全力を尽くしたのである。その政策の一つが30項目に及ぶ検閲指針である。…このような閉鎖的な言論空間の下では、当時の識者や文化人は、日本の悪い点を探し、出して論じるしかなかった。ここから戦後日本の言論界が自責、反省の自虐史観にはしることになった。この傾向は保身のためもあって、言論界のみならず政界、教育界、社会一般の傾向になってしまった。
この自虐的見方は、占領が終わっても習い性となり、容易に目覚めることがなかった。
〈白人のトラウマに刻み込まれた「優勝劣敗」の法則〉
・11世紀から13世紀にわたる聖地奪還の名のもとに進められた十字軍の蛮行は、キリスト教的野蛮性、侵略性、狂気性が一度に爆発した大事件であった。第一回の遠征は相手が不意打ちで無防備だったから成功したが、その後の7回はすべて失敗に終わっている。当時のイスラム圏は西欧よりはるかに文明が高く、対応されたら歯が立つはずはなかった。イスラム側は「西欧の野蛮人」として恐れ、軽蔑した。
この長期間にわたる十字軍の遠征で訓練されたヨーロッパ白人の蛮行が、15世紀以後の世界的大侵略時代に大いに発揮されたことは、すでに述べた。それは世界史上「大航海時代」などと美称するものでなく、世界規模の十字軍の大暴虐時代というべきである。世界的な海賊バイキング時代ということができる。
〈ダーウィンとデカルトの決定的罪科〉
・ダーウィンの進化論(弱肉強食・優勝劣敗・適者生存・自然淘汰)に対して、日本の今西錦司氏は独自の「棲み分け原理」で対抗した。自然界は食うか食われるかの弱肉強食の関係ではなく、相互にテリトリーを持って、できるだけ争いを避けて棲み分けをしている。動物たちは棲み分けによって共存しているという今西理論は、キリスト教の自然観とは異なる。日本人独自の自然観から発せられたものである。
階級支配のヨーロッパの自然観が人間の世界に及んだのが、人種差別である。その差別が正当化されて近代ヨーロッパ文明の地球支配に適用されたのである。キリスト教の洗礼を受けない文明を未開・野蛮と蔑み、その遅れた文明の担い手たちを奴隷として酷使して平然としているのである。
林秀彦は『日本を捨てて、日本を知った』の中の一節に、「アングロサクソンの辞書には“謝罪”の文字はない」とある。国家が他国に謝罪するという概念がないのである。(第三章 白人の成り立ちと、その遺伝子−彼らの侵略性、残虐性はどこから来たのか)