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日は東に昇り、そして西に沈む
一日の終りに、感謝の祈りを捧げて沈む日没の太陽に手を合わせる
日が沈み闇が訪れると、その姿を追って手を合わせる人ももはや居ない。
一日の始めに、太陽が姿を表わすと待ちかねるように人々は手を合わす
人間は本能的にその崇高な姿の前に、決意を新たに改まるのであろう。
沈む太陽、昇る太陽、同じ太陽には違いないが
生活のリズムからみるとまるで違うのである。
燃え始めるエネルギー源と燃やし終わって沈む太陽は
人間社会にとっては、その質に雲泥の差がある。
満タンガソリンの車と、使い切った活動後の車の差ともいうもので
生活の始まりと、その活動の終り というほどの差がある。
東西宗教には、政治的優劣は存在するか
キリスト教的西洋思想は、西に太陽が沈むように日没に入りあたりは既に暗い
活動の社会的効力を失い、手を合わせる人も居なくなったようだ。
東洋的仏教思想は、東から日の出を待つように、無意識にも人々の期待が
そちらの方向に集まり、世界を照らす時が待たれる様子となっている。
太陽が宗教という事ではないが、例えると東西思想の質の違いは
日没後の太陽と昇りつつある太陽ほどの質の違いが生じている。
自己完成を放棄した自己犠牲の宗教的国家は人間の質が時間と供に低下する。
自国内を犠牲にしても、他国へ援助し、権力者が権威を保つ
国内は崩壊し、人間の質は落ち、判断力も劣化している。
他国より、先ず自己完成の方法で、自分,家族,自国に責任を持つ事
個々の東洋的自己完成の立場を軸に、横へ(世界へ)の連帯により、
シッカリした絆が実現して、平和な社会を実現させる事が可能となる。
西洋的自己犠牲の愛は、その行為が自己を破壊し国内を破壊し、
平和と主張しながら、世界まで破壊してしまうのである。
すでに日は、西に落ちて闇は広がり、西洋思想の力は失われた。
地球は、東に昇る太陽をまつ時なのだ!
ーーー今は暗闇
悟りを追及し自己完成をめざす仏教思想は
政治的平和実現の質の面では、西洋思想に優っている
力を失った西の太陽は暗闇の向こうへ沈んだ。
沈む太陽、昇る太陽、どちらも本物の太陽であるが
人間社会に与える影響力(働き)が全く違うのである。
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