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(回答先: 近頃気が付いたこと 投稿者 真理を愛する者 日時 2008 年 11 月 30 日 10:22:45)
創価学会の日本支配がどこまで進行しているかはわかりません。
集団ストーカー被害を押さえ込んでいることから相当の力量となっているものと推定されますが、これとて創価学会単独で押さえ込んでいるものかは疑わしいものがあります。これらは『創価学会+α』によって初めて可能とする圧力と考えています。
この『α』こそは、創価学会より以前に昔から日本を支配してきた要素だろうと推測します。
これは現在の連立政権を観ることによっても分かることではないかと思います。
もし、創価学会単独で日本支配を可能としているならば、既に公明党単独政権となっていていいわけです。ところが現実はそうなっていない。
なぜそうならないか。
それは創価学会単独で政権を奪取できるほどの多数票を獲得することが不可能だからです。
これは重要な点ではないでしょうか。
創価学会はどう足掻いてももがいても単独で政権を奪取できるほどの多数票を獲得できない。さらに得票数は減ることはあっても増大することはない。
視点を変えると創価学会は必ず組むべき『相棒』がいなければ、何もできないに等しい。
この『相棒』を捨て去ることなど口では言えても実行は不可能。
その理由は、新たな『相棒』となるべき相手が存在しないからです。
たとえ存在したとしても新たな『相棒』は、逆に創価学会のこのような脆弱性に付け込み相当厳しい関係を余儀なくされるでしょう。
これは誰もが分かっていることでしょうが、
創価学会のやっていることは自民党の脆弱性を突き、そこを自己の組織票で補完する。その代わりになにがしかのリターンを得る。
簡単に言えば昔の総会屋と企業のような、互いに補完しあう持ちつ持たれつの関係でしょう。
ところが、この持ちつ持たれつの関係であっても創価学会は自民党と対等な立場を取っていない。これは大臣の数を数えればわかりますし政治的に重要なポストを得ていない、というより重要な役割を持つポストを回避している感じが否めない点からも分かります。
重要ではあるがいろいろと面倒な要素を持つポストは、全て自民党に任せて逃げているいる気がしてなりません。
いかに日本支配を企んだとしても、所詮はこれが創価学会の限界ではないかとも思えます。
総体革命と称する日本支配を企図する創価学会は、そろそろ防衛大臣を出してみたらいい。そしてアメリカとの関係を維持する努力をしてみたらいい。創価学会はアメリカの産軍複合体と渡り合ってみればいい。
国内の防衛産業育成に尽力してみればいい。
陸海空三軍の実力組織を束ねる大臣をやってみればいい。
アメリカが望むなら自衛隊を戦地に送り出して見せてもらいたい。
戦死者は英霊として靖国に祭ることを創価学会は承諾するのです。
次に、外務省はどうでしょうか。
創価学会から外務大臣を出し北朝鮮による日本人拉致の問題に取り組んだらいい。
日本国内に不法に入国し日本人多数を拉致し連れ去った北朝鮮に対して断固たる態度で事に及んでみせてもらいたい。
次に、厚生労働省はどうでしょうか。
かつては創価学会から大臣が出ていましたが、途中で投げ出し現在は自民党がそのポストを請け負っています。
前任者がダメならプレイヤー交代で、別な創価学会議員を厚生労働大臣に据えつけ、継続的に年金問題に取り組み、社会保険庁の組織犯罪的な年金毀損活動の全貌を暴いてみせてもらいたい。
次に、財務省はどうでしようか。
日本経済の舵取りを創価学会がやってみればいい。G7なりG5なりに出席したりアメリカのFRBとウォール街複合体と対等に渡り合ってみればいい。
場合によってはアメリカ国債を売却すると脅して見せてもらいたい。
或いは現在のような円高が今後も進行し95年の1ドル80円はおろか、ドル暴落が生じた際に世界の中央銀行と手を携えて協調介入してみせてもらいたい。
ついでに日銀総裁も創価学会から出す。
資本主義システムの根幹となる信用創造の操縦かんを自ら握ってみればいい。
次に宮内庁。
ここも創価学会から長官を出す。
そして予算をたっぷりとって天皇制護持に貢献するのです。
さて、こうして荒唐無稽とも思えることを敢えて想定して見えてくることは、
創価学会はこれらをなぜ引き受けないのか?
なぜやらないか、やりたくないのか、それとも『α』が阻止しているため創価学会がやりたくてもできないのか。
であればこれは、創価学会の日本支配より『α』の支配権力のほうが絶対的に強いことを示唆しています。
さらに、『α』は創価学会の日本支配など世界との関係を頭に入れていない、特にアメリカとの関係を頭に入れていないことを見透かされていることになります。
結論として、
創価学会は単独で日本を支配することは不可能ということです。
支配するのではなく支配に見せかけた補完をすることまででしょう。