コレラ菌を発見したロベルト・コッホや、狂犬病の予防接種を確立したルイ・パストゥールでさえ、そのすべての研究の原本となる舞台を初めて人類の前に創始したレーウェンフックに比べれば、足元にも及ばないのだ。浮世絵で言えば、レーウェンフックが墨一色摺りの版画を仕上げたところに、コッホやバストゥールが彩色をほどこしたにすぎない。これほど偉大な先駆者の名前が、われわれ現代人にほとんど知られていないのは、変人だったからである。彼は、学者ではなく、事実の発見と確認に満足する哲人であった。 レンズが物を拡大して見せるという単純な働きに、異常なほど惹かれて以来、そこに地球の神秘を解き明かす鍵があると確信し、レンズの製造に取り憑かれた職人だったのである。 造り酒屋に生まれ、織物店を開き、公会堂の門番をつとめ、この履歴を聞くだけでも愉快になるが、最後に彼が選んだのは、メガネ職人に弟子入りして腕をあげたレンズ磨きという技術であった。それも、われわれが想像するような大きさのレンズではなかった。 どのように磨きあげれば、レンズという簡単な道具が物を最も大きく見せてくれるかを、次から次へと手製のレンズで確かめながら、ついに直径が三ミリという微小なレンズを最高度の技術で磨きあげると、昆虫や樹木や血液を片っぱしから、調べはじめた。ついに、物を二〇〇倍にまで拡大できる顕微鏡を完成しながら、彼は、その秘法を誰にも教えなかった。 彼はひとりで作業したが、孤独ではなかった。この変人に、孤独という文字はなく、自分ひとりで真理を知る作業は、歓喜に満ち満ちていた。 その秘密を明かす友達といえば、娘だけなのである。 実に、二十年以上にわたって、ひとりで繰り返し事実を確かめ、生物界のひとつの原理が明らかになると、次に進んだ。シラミの脚が、何と精巧にできているものかと感嘆し、赤血球の直径が一〇〇〇分の八・五ミリの大きさであることを、そのレンズの倍率から計算してみせた。 この計算値は、現代人のわれわれが知っている赤血球の正確な寸法と、誤差がわずかに一〇パ−セントという精度であった。牛の目玉の構造を調べ、水晶体の働きに納得したあとは、雨水の中を泳ぎまわっている無数の徴生物の姿をとらえ、どうして天からこの生き物が落ちてきたのかと不思議に思いながら、そのメカニズムを疑った。やがてそれが、天から落ちてきたのではなく、きれいな水に侵入した汚れと共に発生してくることを実験によって確かめた。 人間の歯と歯のあいだに住む生き物の数があまりに多いことに驚き、そればかりか、新鮮な精液の中に存在する生命のもとが精子であることを探りあて、運河では、貝の体内に膨大な数の子供が宿されていることをつきとめた。 それが、レーウェンフックであった。幼いころから「神が造った」と教えられてきた地球上の出来事が、どのような仕組みで成り立っているか、その真理を、知り得る限り突きとめたかったのである。 レーウェンフックの耳には、数々の高名な学者たちの言葉が、聞こえていた。それを耳にするたびに、レーウェンフックは首を振って、ひとり「それは間違いだ」とつぶやき、自分の部屋にこもって、横行する偽学問を正していた。その変り者も、四十歳を過ぎて、ついに、当時世界一の学問的権威であるロンドンの王立協会にあてて、驚くべき事実の数々を報告する日がやってきた。
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