★阿修羅♪ > 文化1 > 159.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 「弁論勝負の米国人、文章で勝負する日本人」 おとなしいはずの日本人がインターネットの世界では日本人は多弁だ。 投稿者 TORA 日時 2008 年 5 月 14 日 14:05:27)
いつもTORAさんの発言に関心を持ちます。TORAさん個人に私が拘っているとかそういうことはありませんが、気になる発言内容の投稿者がTORAさんである場合が多い、という言い方が一番、正確でしょうか。
英語って使っている文字がアルファベットだけで、ネットで読もうとしても疲れますね。readもleadもredもreadyも似てて違う意味なのに、綴りが似ているから注意を以って目を凝らして読まなければなりません。英語って言うのは、人間よりもコンピューター向きなのかも、ですね。
一方、日本語はひらがな、カタカナ、漢字、英数字など使っているため、なんとなく「パッと見」の印象に乗って、すらすら読む事ができる。目を(英語ほどには)凝らす必要がない。日本語は(英語よりも)人間向きのテキスト系統でしょう。しかし、英語は口頭で発音している限りは、印象で感性にうったえる伝え方が出来る。英語は話し言葉として使っている限りは人間向き=人間性に合致していると思います。
英語は、日本人からすると、「何となく表現に乏しい」言語ですね。自分の事はIとしか言わないし、微妙な領域=精神的領域を表現し難いと思います。そのため、「何か伝え切れていない」という精神を持つのではないでしょうか。その「表現不足感」を補う為に、彼らは身振り、手振りが活発になるのだと思います。
その点、日本語は、ちょっと何か言えば、直ちに結論が明らかになるという「打てば響くような関係性」を作り出すと思います。そのような敏感な言語世界にもなるので、日本人は寡黙になる傾向が出てくるのかも。あまりにも伝わってしまうので、それを抑制しようとして表情にも出さず、目は空ろ…ではないにしても(^^;、もう既に日本語だけで伝え切ってしまっている感はあるかも知れません。