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煩悩くん フルスロットル 聖イッサ伝
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♥聖イッサ伝♥
『ヒマラヤ聖人の生活探求』を読んでいると、ヒマラヤ山麓に洗礼者ヨハネだけではなく、なんとあのイエス・キリストも訪問して学んだということが書かれていました。
確かに、聖書にはイエス誕生から幼年期(12歳)までと、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けて(30際)てから磔刑になる(33歳)までの3年間の「公生活」以外については何も書かれておらず、空白の17年間がありますね。
そして、この期間に貿易の隊商に混じってインド、ネパール、チベットを訪問し滞在したということです。
インドと言えば、ベツレヘムやエルサレムからは遠いのですが、当時、交易ルートも存在し、陸路、海路を使えばいけない場所ではありませんので、一概に否定はできません。
で、このヒマラヤの聖人の話を裏付けるような発見がチベットの寺院でありました。
1887年、ニコラス・ノートヴィッチというロシアのジャーナリストがヒミスの大僧院で「聖イッサ」について書かれた写本を見て、それを通訳を通して書き写しました。 この「聖イッサ」というのがイエスのことなのだそうです。
聖書の内容とも重複します。逆に180度異なる部分もあります。
特に、イエスが磔刑にかけられる裁判においての記述は、「ユダヤの長老達が死刑を迫り、ピラトがそれを拒んで最後には潔白を示すために手を洗った」という聖書に対し、イッサ伝では「ピラトがイエス様を目の敵にしていたが、長老がそれに反対して、手を洗った」と180度逆になっています。
ローマ布教に際して、ローマ提督を悪者に出来ない為、ピラトと長老たちの立場を入れ替えたという解説がありますが、「手を洗って潔白を証明」する行為はユダヤの風習であり、ピラトが現地の風習にならってそうしたというように聖書にはわざわざ説明を入れて記述されていますが、ローマ提督であるピラトがそのように媚びたことをするのは、考えてみればおかしなことですね。
この「聖イッサ伝」によって、「ヒマラヤ聖者の生活探究」の信憑性がまた1つ高まりました(笑)。
■聖イッサ伝
http://www5f.biglobe.ne.jp/~budda/tetra/isi/index.htm
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