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(回答先: あなたはどのようにして自分のエゴ(自分)を越えて、公平公正さを貫こうとしていますか? 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 4 月 13 日 04:13:16)
「水星」と「金星」と「海王星」の三つの惑星の記述に間違いがありました。訂正に加えて多少付記を加えました。正しくはこのとおりです。
<ローマ神話や西洋占星術の説く惑星> 参考文献
1)水星(Mercury、Merciry, the Winged Messenger)
水星は神々の使いの神で。商業、技術、旅行、雄弁、盗賊などの守護神
高度な知性や理性、心性、共同体、基礎教育を所有。冷静、理性的で感情に動かされない。
水星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、科学者や医者に向くらしい。
2)金星(Venus, the Bringer of Peace)
金星は愛と美の女神で、平和をもたらす者。
芸術を表し、愛、美への欲求、調和の美徳を所有。
金星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、美の追求をする芸術家に向くらしい。
3)地球
4)火星(Mars, the Bringer of War)
火星は戦の神で、戦争をもたらす者。行動への衝動、個人的な活力、攻撃性、情熱、スポーツなど。
その赤い色からこの名がつけられたのでしょう。火星は、ときに赤い星と呼ばれます。
感情におぼれたり、感情に自分が振り回されます。何でも勝利することに喜びを感じる。 火星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、軍人やスポーツ選手に向くらしい。
5)木星(Jupiter, the Bringer of Jollity.)
木星は神々の中の主神で天の支配者で、神の主権を表す。
霊の個人的な成長、大志、自由への欲求、正義感と道徳性、宗教、哲学
神の主権は公平公正、感情におぼれず。この点で火星と対局にあります。
木星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、司法法律家に向くらしい。
6)土星(Saturn, then Bringer of Old Age.)
土星は農業の神で、陽気さをもたらす者 。
個人的な制約、責任感、権威とヒエラルキー、難事への対処能力、自分と他人を律すること、信頼性。
土星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、統治、管理者に向くらしい。
7)天王星( Uranus, the Magician.)
天王星は魔法を行う者 老いをもたらす者。
反乱や型破り、旧体制の破壊、革新と創意、理想主義と発展的な思考など。
天王星の名前のもとになった ウラノス はギリシア神話の天空の神様,一番最初に神様の中の王様。
天王星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、電子技術科学、宗教家に向くらしい。
8)海王星(Neptune, the Mystic)
海王星は海の神で、神秘なる者。
神秘主義、卓越性、共感、慈善、心霊的、社会からの後退、芸術的閃きなど。
ネプチューンはローマ神話の海の神で、ギリシャ神話のポセイドンに当たる。
海王星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、孤独な道を求める哲学者、詩人に向くらしい。
9)冥王星(Pluto)
冥王星は黄泉(よみ)の国の神。ケイシーリーデイングではキリストへ道へ変わる死(=復活再生)。
生活の局面の始点と終点、死、秘密の暴露など。
冥王星の魂は地球の物質世界に生まれ変わって来たら、公務員や坊さんのような全体への奉仕に
向くらしい。
西洋占星術などでは、「天王星」「海王星」「冥王星」があるという事ははるか古代から指摘はされていましたが、実際にそれらの惑星が発見されたのは天体望遠鏡が発明されて20世紀になってからでした。したがって、それらの惑星が何を意味するかが不明なことが多いようでした。
実際、天王星や海王星や冥王星が日本に紹介されたときに、何故、「王」という言葉を付け加えたのかが不思議です。天星、海星、冥星が自然ですが、「王」がついたところに神に近く進化した魂という意味があるかもしれません。
(冥王星のメンタルテイ)
特に「冥王星」については未だにはっきりしておりません。しかし、アメリカ人のエドガーケイシーのリーデイングでは「意識の変化」と言っており、その意味はキリストの復活に近い意識の変化を指摘しています。三穂さんが聞いたところでは、「死を克服する」という意味みたいです。神の存在に近づいたことを表すのかもしれません。普通の人は死を忌み嫌いますが、天王星や海王星や冥王星の人は死についての意味を知っていることを表すのかもしれません。私が魂リーデイングをした結果、冥王星の人は出世や金儲けにあまり執着しないところがあります。お金はたくさんあるに越したことはないが、それらに自分の人生を突っ込むことは愚かなもの妥当言うような感性を持っている所が面白いです。冥王星は古いものとか、古寺、古いものなどに興味を示します。自分の人生を遠くから見ていると言うような感じです。例えば、清少納言、吉田兼好とかの感性に近い。
以下は清少納言の枕草子の一説ですが、この美的感覚って、何かちょっと違います。水星、金星、火星、木星、土星の魂はこんな感覚に親しみを持ちません。彼らはみんな集まって、今度はこんなことして遊ぼうという幹事で、みんなで群れることを喜びとします。以下の季節に皆さんは美意識を見出しますか?
枕草子(清少納言)
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
紫だちたる雲の ほそくたなびきたる。」
「春は夜明け方が一番すばらしい。次第に白くなってゆく山頂あたりの空がよい。
すこし明るくなって、紫がかった雲がほそくたなびいているのがすばらしい。 」
もうひとつ、話題を提供します。 以下は鎌倉時代の随筆家吉田兼好の「徒然草」の一説です。吉田兼好の感性は一般人とはちょっと違っています。ちょっと違った美意識を訴えているのです。これに冥王星の魂が近いのではないかと思っています。吉田兼好自身がいっていますが、「世捨て人」なのです。世捨て人でも、清少納言の方が吉田兼好より意識は上だったかもしれないですね。
つれづれ草 上
これは、暇にまかせて一日中机の前にいるときに心に浮かんだことを適当に書きとめておいたものである。したがって、実にくだらない馬鹿馬鹿しいものである。(序段)
この世に生まれた人間にとって理想とすべきことは多いようだ。
最高の理想は天皇の位だが、これはおそれ多いこと。皇族方は子々孫々にいたるまで我々一般人とは血統が違う。摂政関白こそが我々にとっての最高の理想だ。下の方の位でも舎人(とねり)になれたら十分自慢できる。いくら落ちぶれても孫の代までは上品そうだ。しかし、それより位が下がると、出世したと得意がるのさえ実にみっともないことである。
一方、何をおいても最低なのが坊さんだ。清少納言が「人に石ころのように扱われる」と書いたのももっともである。有力者にのし上がっても、全然すごいとは思えない。むしろ、増賀(そうが)上人が言ったように、名声を求めるのは仏の教えに反している。本当の世捨て人なら理想とすべき面もあるかもしれないが。
人は容姿はすぐれているのがいいと思われがちだが、実際には、話をして不愉快でなく口数が少なく感じのいい人こそ、いつまでも一緒にいたいと思うような人である。逆に、外見がよくても性格が悪いことが分かるとがっかりする。家柄や容貌は生まれつきだが、性格の方は努力次第でどうにでもなる。しかし、外見と性格がよくても教養がないと、醜くて下品な人に簡単に言い負かされてしまって情け無いことになる。
何と言っても、本当の学問を身につけて、漢詩、和歌、音楽に堪能であることが理想だ。その上に朝廷の儀式や政治に関してずば抜けて詳しい人をすごい人というのだ。男なら、さらさらと筆が達者で、音楽に合わせてうまく歌がうたえて、酒も適度にたしなめるのがよい。(第1段)
何でもずば抜けているのに女にはまったく興味がないという男がいるが、そういう男は重要なものが欠落している点で、水晶で出来ているのに底のない杯のようだと言っていい。
夜露で着物を濡らしながら、あてどなくさまよい歩いて、親の注意も世間の非難も上の空で効き目がなく、あれこれ思い悩んで、あげくに幾晩も一人で眠れぬ夜を過ごす、というのがいいのである。
とはいっても、女狂いというのもだめで、女に軽々しく扱われないようにしておくのが望ましい。(第3段)
常に来世に思いを馳せながら、仏の道に精進するのがすぐれた生き方である。(第4段)
同じ世捨人でも、世に入れられない悲しみからよく考えもせずに急に決心して出家したというのではなく、世の中から忘れられて、門を閉じたまま、何を当てにするということもなく日々を送っている。そういう世捨人になりたいものだ。
顕基の中納言(源顕基)は「無実の罪で流された場所から月を眺めていたい」と言ったというが、まったくわたしも同感である。(第5段)
貴族だろうと平民だろうと、子供はない方がいい。
前の中書王(中務卿兼明親王)も九条の太政大臣(藤原信長)も花園の左大臣(源有仁)も、どなたも自分の血筋が絶えることを願っておられた。
『大鏡』によれば、染殿の大臣(藤原良房)も「子孫などない方がいいのですよ。逆にぐうたら息子ができたら大変です」とおっしゃったそうだ。
聖徳太子も自分の墓を作らせるときに「あれもいらない。これもいらない。わたしは子孫を残すつもりはないのだから」とおっしゃったという。(第6段)
人間の露のような命がもし永遠に続くとしたら、人間の煙のような命がもし消え去ることなくこの世に留まるとしたら、この世の面白みもきっと無くなってしまうだろう。人生は限りがあるからいいのである。
命あるものの中で、人間ほど長生きするものはない。蜻蛉(かげろう)のように一日で死ぬものもあれば、蝉のように春も秋も知らずに一生を終えるものもある。それと比べたら、人生はその内のたった一年でも、ゆったりと暮らすなら、実に長く感じるものである。それを不足に思って、いつまでも生きていたいと思うなら、たとえ千年生きても一夜の夢のように短いと感じることだろう。
どうせ永久には生きられないのに、どうして長生きして醜い老人になろうとするのか。「命長ければ辱多し」と言うではないか。長くてもせいぜい四十前に死ぬのが見苦しくなくていいのである。
もしそれ以上生きるようなことがあれば、人は外見を恥じる気持ちを忘れて人前に姿をさらすようになるだろう。また、死が近づくと子孫が大切になって、孫子の栄える将来まで長生きしたくもなるだろう。さらには、この世に対する執着心ばかりが強くなって、風流も分からなくなってしまうだろう。まったく嘆かわしいことである。(第7段)
人の心を迷わすものでは、色欲に勝るものはない。人の心とはたわいないものなのである。
女の匂いにしても、それは本人の匂いではなく、服に付けた一時的なものだと分かっていても、いい匂いのする女に出会うと、男は必ず胸がときめくものだ。
久米の仙人が洗濯女の白いふくらはぎを見て神通力を失ったという話があるが、実際そういうこともあるかもしれない。なぜなら、女の素肌のつやつやとふっくらとした美しさこそは、まさにこの色欲を掻き立てるものだからである。(第8段)
吉田兼好は一体何を言いたいのか、ウダウダ言って、世の権力者やその周りの人々を罵倒しています。あいつとこいつがひっついて、出世を棒にふったらしい、馬鹿な連中だ。人生がわかっておらん。あいつはあの上司にゴマすっていたが、上司が左遷されたらしい。それで、あいつは今度こそ出世の道がとざされたな。程ほどを知らんからだ。しかし、おんなとはこういうもので、どうたらこうたら、世が捨てられなかった葛藤が聞こえてきそうです。
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